北原隆太郎氏の書簡 

          

           常盤 義伸

 

 北原さんから毎年、奥様の東代様と連名でいただいたお年賀状は、受け取られた方がよく御存知のとおり、当然のことながら、日本の代表的詩人であるご尊父・白秋の作品に言及されるお言葉で始まるが、それと同時に、必ずそれはFASの建立に言及される、文字通り活溌溌地の表現であった。北原さんにとって、白秋の詩の境涯に分け入ることは、FASの究明と別のことではなかったように思われる。北原さんは白秋の世界を、単にご自分の父親の文学の世界に留まらない、人間性の真の深さと広さとをそこに見いだすことのできる世界として見ておられたようである。そういう北原さんにとってFASは、人間そのものの、そしてご自分自身のあり方に外ならなかったと思われる。

 北原さんはFAS協会の前身・学道道場ができてから、戦後まもなくに入会されたが、その学道道場、そしてFAS協会、の実質的な活動である坐禅実究を推進してこられた中心人物と云ってよい。久松先生の「臨済録抄綱」英訳の前書きに、編集と翻訳に携わったクリスさんと私は久松真一著作集第6巻『経録抄』末尾の北原さんによる後記を取り上げさせていただいた。この後記をお読みになった方はすでにご承知のことだが、そこには北原さんの実究への全身的な関わり方が生き生きと描写されている。

 協会の別時学道に北原さんは、毎回はるばる鎌倉から京都に出てこられて期間中通して参加され、久松先生が直接実究の指導をされることがなくなって以降、別時学道が終了するたびに摂了の報告に先生を訪ねられていたご様子であった。それが第百回を重ねた時点で、これからは他の方々で責任をもってやってほしいと言われたが、その後も、ご都合の許す限り参加されて、他の参加者に心優しい激励をしてくださったことである。北原さんは、いわば久松先生と一心同体で協会活動の持続を願われたと云ってよい。

 私の手元に一九八五年五月二日付、四百字詰め原稿7枚の、私宛「書簡」がある。その末尾の余白につぎのような私の鉛筆書きメモがある。

 「最近の平常道場の論究で取り上げられている伝統的な公案体系と協会の基本的公案との関係、そして、新しい公案組織が必要だとされる会員T氏のご意見などについて、T氏のご希望もあり、北原氏のご意見を求めたところ、右のお手紙をいただいた。私信ではあるが、重要な問題が扱われているので、特にお願いして公表させていただいた。なお、文中“”内はT氏のお言葉を示す。T氏には、貴重な論究の機会を提供していただいたことを感謝します。常盤」

 このメモによればこの書簡は「公表」されたことになっているが、私にはそれが印刷された記憶がなく、この当時の協会機関誌『ブディスト』にも収められていないので、おそらく平常道場での論究で私が口頭で紹介させていただいたものと思われる。この書簡を読み直して私は、北原さんへの追悼がFAS的なあり方への志向と直接重なるように思うので、ここに改めて発表させていただく。(T氏は、抱石庵の久松先生に個人的に参禅されるなど、かなり長く私淑されたが、のちに退会された。なお、書簡中に二回用いられる「(中略)」は北原さんご自身の言葉で、余事を差し置いて、という意味のようである。)

 

  書簡(常盤義伸氏宛)               北原隆太郎

 拝復 御多繁中、再度、お手紙を頂き,有難うございました。(中略) 

 法法本来法、心心無別心。

 法というものは元来、作為して立てらるべきものに非ず、本来、誰人にも備わっているものと存じます。道元禅師の言の如く、「修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし」(正法眼蔵・弁道話)ではあるにしても、根本の処は、臨済禅師もいうように、真仏無形、真法無相。又、心法無形、通貫する十方。目前現用。又、無修無証、無得無失。です。

 公案というものも、達摩大師の「指事問義」以来、この現成公案を体得するための方便ないし手段として立てられて来た指と存じます。公案禅に全然参じたことのない人が、先入見でこれを毛嫌いし、排斥するのは間違っていますが、さりとて、“白隠の法の公案組織 ”を過大評価しすぎるのも、賛同致しかねます。白隠禅師も生誕三百年(禅宗では遠忌ばかりを重視し、釈尊以外は生誕のことはあまり言わぬようですが、白秋生誕百年に因み、そういえば白隠も...と気付きました)、“白隠の法 ”も小生としては重々、再吟味もし、摂るべきは摂りたいとも思いますし、あの方法の近代性・庶民性(大衆への禅の普及)は認めますが、その歴史的役割はほぼ終焉したものと見て居ります。“白隠の法のみが現在に伝わった”とは思いません。「盤珪の法」も「道元の法」も活溌といえば活溌です。(全人類はもとより、草木虫魚、山河大地,牆壁瓦礫に至るまで、それと知らずして、日々瞬々現に行じている真最中です。)

 公案は元来、各自が自ら立て、自らに課すべきもので、外から強制的に押しつけるべきものではありません。学道道場以来、僧堂の行き方とは異なるFAS協会独自の実究、相互参究の行き方の特色をよく顧み、各自に自覚を深めて行かねばならぬと存じます。縁あって念仏三昧を志す人があれば、その人はその方向で徹底して、「超三業の念仏」に成ればよいことで、無字や隻手でも、「超三業の無字」「超三業の隻手」に成らねば不徹底なことと存じます。只管打坐に徹しようという人があれば、それはそれで非打坐的打坐、無相の坐にまで透徹して、そこからA・Sすればよいことです。大道はもと無門であり、どこから入ったとてよく、特定の公案組織に依拠し、履修せねばならぬということはまったくありません。そんなものを無用にする端的にまで直下に徹しないことには、公案組織に参じたという参じ甲斐もないことと存じます。

 新しく公案組織を作ろうというのは繋驢けつ[「けつ」北原さんの原稿は漢字、木偏の厥、くい ー常盤]のポールを立て、首枷、手枷、足枷を人に嵌めようとするようなもので、これ好心に非ず、もっと直下に、驢胎馬腹を蹴破って、「一声高く叫ぶFAS!」という工合に行かぬものか。(追記ーー某甲、下語して曰く、売弄[まいろう、ひけらかす ー入矢禅語辞典ー常盤]少なからず、白昼、弧灯を挑げて鬼語し、水を担って河頭に売る。咄、美食、飽人の喫に中らず。魚目をもって真珠となすこと勿れ。)

 東専一郎さんの親友の久山康氏の新著『人間を見る経験』によれば、早逝されたキリスト者、橋本鑑氏は木魚を叩いて「インマヌエル」と、念仏ならぬ念イエスをしたとのこと、念FASしてもいいなと思いました。

 とどのつまり、即今、総不可、どうしてみても、一切いけないとしたら、どうするか。(この問いかけ一つあれば、この何をか欠少せむ。)小生は基本的公案の一本槍、一振り刀で行きたいと存じます。あくまでも。その振り回しようが足りぬとか、活殺自在の妙用が未熟であるとかいう点は反省しますが、願わくは「総不可で一切が調う」という域にまで到らむことを。現実には、野球狂で親の言うことを聞かぬ小学六年生の長男をどう教育すべきかといった、事上の個別的窮題に悩まされている実情ですが、こんな些細な問題でも、みな、「人類の誓い」の応用問題です。

 協会の現状を憂うるTさんの御熱意、真剣な御高察には感銘しましたが、人にはいろいろ異なった観点があるものだな、とも思いました。伝統的な公案の中からFASにふさわしい、どんな公案を選択されるのか、また、どういう新しい公案を作ろうとされるのか、その構想の青写真はぜひ伺ってみたいものと関心をそそられます。ただ、久松先生ほどの力量をもった “人 ”がいないから、それに代わるものとして新しい “法 ”の組織を造る必要がある、とのお考えは納得し難いです。“法の組織 ”なるものが果たして “人 ”に代替しうるものかどうか。“人 ”がいなければ、ましてや、いかに衆知を集めたところで、新しい “法 ”の立てようもない筈ですし、どんなに精緻な “法 ”でも、それを活用しうる人がいなければ、死んだ法も同然です。作為された “法 ”は真法に非ず、真法は無相です。「人は考えるから生きているのではなく、生きているから考えるのである」(西田幾多郎『哲学論文集第三』序文)という、おそらく田辺哲学への風刺の言葉を、端なくも想起しました。公案を取り入れねばしっかりやれぬとか、人が来ぬとかいうものでないのが真実の生命です。

 Tさんの協会の現状分析は、大綱に於いてはほぼ御尤もですし、それへの対策も、公案の問題を除いては、従来も皆、認められてきたことと存じます。「基本的公案」「人類の誓い」を根本として、という点は御同感ながら、新しい独自の公案組織を作らねば ”というTさんのお考えはどうも、首肯致しかねます。それについての具体的なプランはぜひ傾聴した上で判断したく存じますが、「FAS禅」という言葉を好まず、「FAS」だけでよいとする大兄のいつぞやの言を、改めて御尤もに思いました。(中略)

 「FAS禅」と、禅の一字を入れても、小生はよいと存じますが、その禅は公案禅にも打坐禅にも拘らない、むしろ、活臨済そのものに直下に通じているような、本来の禅でなければならぬと存じます。まだるっこいポリゴーンを飛び超え、頓証頓修であるところに、基本的公案の狙いもあります。この基本的公案への参究が不徹底で、活用が不充分であることは深省するとして、相互参究の焦点とすべきものは、「抱石の仏法」としては、総不可道のみが、必要且つ十分な条件を備えたそれと存じます。FASを公案にしてもよいと存じますが、公案組織は御免蒙ります。

 新公案は協会としての公的組織的なものとしてでなしに、各自がそれぞれ自分で立て、自分で工夫するというなら、百出千出、大いに結構です。とりあえず、寸感まで。FAS

          一九八五年五月

 

 

 

 

 

 

小西達也氏 レターより

 

アメリカ在住の会員、小西達也氏から常盤宛にいただいていた次のファックス・レターが、北原隆太郎氏追悼文そのものであるので、今度の追悼号に含めていただくことを、ご研究に忙殺されているご本人に代わって、常盤の独断でお願いした。それまで工学畑を歩んでこられた小西氏は、方向を大転換され、アメリカでヘルス・ケア・チャプレンを志して、すでにバークレーで一年間のインターンを終えられ、本格的に資格を取得するために今年9月から某大学院に入学され、ご家族を日本に帰されて単身、ご研鑽中であられる。小西氏は、故山口昌哉氏が委員長であられたころ、文科と理科をつなぐ重要な役割を果たす人として注目されていた方である。

(常盤義伸)

 

拝復  頂きましたお手紙に、大変ショッキングなニュースがございました。北原さんが逝かれてしまったとは、私存じ上げませんでした。実は、藤吉さんが逝かれた時も存じ上げず、後に石井誠士さんからのお手紙で知ったのでした。

  つまらない話で恐縮ですが、隆太郎さんとは、FASの夏季接心の折、坐禅が終わってから、近くのお風呂屋さんに向かう途中、ご一緒にお話ししながら歩いている時に、「先日、新潮文庫アルバムの白秋さんの本の中で、隆太郎さんのお顔を拝見しました。」と申し上げましたところ、隆太郎さんが「このとおり、その頃と何も変わっておりません。」と笑いながら話されていたことや、またお風呂屋さんから戻ってきた後、隆太郎さんが外で煙草を吸われている時にご一緒させていただいた折には、久松先生とご一緒されていたころのことを回想されながら、「久松先生から直接『色即是空』という言葉を伺うと、『色』が『空』であり、『空』が『色』であるというのが、本当に実感としてわかるんですよね。不思議なことですよね。」などとお話して下さったことを想い出します。

  また、藤吉さんとある時、お会いさせて頂いた時には、「この間、北原隆太郎さんが来られて、いっしょにあなたのことを話したのですよ。」と言われたこともございました。お二方とも逝かれてしまったことは、悲しい限りです。

  教えて下さり、ありがとうございました。

二○○四年六月二三日(米国時間)

草々

                           小西達也