阿部正雄氏を悼み捧げる賛辞
                
常盤 義伸       


 今年九月十日、九十一年のご生涯を閉じられた阿部様に遅まきながら、短からぬ年月の間に蒙りました種々の学恩・法恩のお礼と、それらの恩恵を本当にはよく弁えずに失礼を重ねて参りましたことへのお詫びとを申し上げたく思います。お葬式で告別の挨拶をされた阿部様のご親友の方が阿部様は師の久松真一先生を超える方だと賞賛されたお言葉を、私はその後も忘れられません。弟子が師を超えたと評価されることは、その弟子が真に師を継承したことを意味するとされています。私は、学道道場以来、阿部様との接触の機会はかなりありましたが、自分の拙さばかりに気を取られて、ご論文やご著書を頂戴しましても、その深みに透徹することがなく、阿部様が逝かれた今になりまして漸く、学道道場、FAS協会の会誌に記されるご足跡を辿り、また頂戴しておりましたご著書、ご論文などを改めて幾つか拝読して、このご親友のお言葉の重みを跡づけることができたという思いに、驚きと喜びとを抱いております。以下に少しばかりその思いを述べさせていただきます。(学道道場時代の記録を現在私たちが目にすることができますのは主として当時の道場活動を支えてくださっていた横井(のち柳田)聖山氏のご苦労によるものであることは申すまでもないことですが、その柳田さんが、十一月八日に八十四歳で逝去されました。中国・日本の禅思想史研究の第一人者であられました。)
 阿部様は、一九三八年に大阪商科大学ご卒業後入社された商社を退職され改めて入学された京都大学文学部哲学科を一九四四年に卒業されたわけですが、同年春に久松先生の御指導のもとに結成式を挙げられた京大学道道場の発足人のお一人であられ、その当時の状況を『学道』創刊号(一九四七年発行)に記録していただいています。一九五一年八月には、三木町宗教研究会主催の公開講演会に久松先生とともに阿部様も出講されています。このあと一九五五年六月、阿部様は米国コロンビア大学ユニオン・セミナリーに二年間の留学をされるため出国されるまでも、久松先生に熱心に参ぜられ、道場委員会の委員としてまた日曜道場の講師として道場活動の推進につくされます。のちに一九六六年十月、アメリカご滞在中に「鈴木先生のことーー始めてお会いした頃ーー」という一文をFAS誌に寄せられました。そこでは、その年の七月鈴木大拙先生が日本で亡くなられたことをデマルチノさんからのお手紙で知られたこと、そしてその二十年前の一九四七年冬、阿部様が京大文学部宗教学助手をされていたときに、宗教学講座を仏教学と兼ねて担当しておられた久松先生の代理で京都におられた鈴木先生のご病気見舞いに行かれたこと、そしてその約一年後、ご渡米直前の鈴木先生に、思いとどまって日本で大事なお仕事をしていただきたいという久松先生のご意向をお伝えするために再び訪問されたときのことを回顧され、その頃「信仰上の問題に苦しんで」おられた阿部様に鈴木先生とのお出会いの機会を用意された久松先生の特別のご配慮に、感謝の思いを述べておられます。そのあと特に、二年間のニューヨークご滞在中阿部様は、コロンビア大学での鈴木先生のご講義に出席され、またご自宅をも訪ねて教えを受けられたとのこと。阿部様のこのあとのご活躍を支えるお力となったもののなかに、鈴木先生とのお出会いも、確かに大きい役割を果たしておられるようにお見受けします。
 一九五七年九月から十二月半ばまでハーヴァード大学神学部客員教授として講義や講演をされることを受諾された久松先生が、藤吉慈海氏とともにボストンに向かわれ、その翌年、アメリカからヨーロッパ、インドを経て帰国されました。久松先生のこのご出講は、アメリカ、ロックフェラー財団の方の斡旋で決められたとのことですが、その斡旋の背後に鈴木先生、そして阿部様のご尽力があったのではないでしょうか。一九六二年六月、FAS綜合研究会が二年間の予定で、久松先生と西谷啓治先生とのお二方のご指導のもとで発足しました。その成果は一九六九年八月、創文社発行の『禅の本質と人間の真理』(久松先生の極めて重要なご論文「絶対危機と復活」を収める)に発表されました。その間、一九六四年五月、FAS協会創立二十周年記念講演会で阿部様と辻村公一さんが講演され、久松先生がご挨拶なさいました。一九七一年十月、久松先生のご著書『禅と美術』の英訳 ZEN AND THE FINE ARTS, Kodansha International, Tokyo が発行されました。これは数人の方々のご協力でできたものを常盤がまとめ、編集者の米人の方と常盤との最終調整で完成し、翻訳者を常盤としていただいてできたものですが、協力者間のまとめ役、出版社との連絡等、大切なことながら煩わしい役柄すべてを阿部様が引受けられ、見事に処理してくださいました。
 その頃、阿部様が一九六九年春にシカゴ大学客員教授・仏教学講師としてなさいました六回の講義のうちの一回分 "Life and Death" and "Good and Evil" in Zen, Reprinted from Criterion, Autumn 1969 issue を頂戴しました。そこでは、存在が非存在に優先するという普通に人間的な立場は実は幻想にほかならず、人間の現存在は存在と非存在があい矛盾しながら対等の分ちえない一体となっているものであって、このことの自覚は、禅で「大死」というものであり、その大死こそは大生にほかならないということが、前者の例を西欧の哲学・宗教思想から引き、後者の例を中国・日本の禅者などから引いて、非常な説得力をもって論ぜられています。そこには、西欧の哲学・宗教思想、仏教・禅等への阿部様の深く豊かな洞察が伺われます。しかし、それだけでなく、学道道場での久松先生との徹底した相互参究を通して得られた揺るぎない自信と、鈴木先生との接触を通して得られた西欧世界の人々への深い友愛の念とが、阿部様の情熱をかき立てて、このあと更に大規模に展開されるアメリカ各地での講義、講演、宗教間の対話などを、すべて学道道場・FAS活動の自ずからなる展開として、それらに立ち向かわせたものと思われ、畏敬の念に耐えません。
  一九七七ー七九年には、阿部様は、Princeton, Columbia 各大学に短期の出講をされ、八〇年二月二七日に久松先生が逝去されたあと、三月末で本務校の奈良教育大学を停年退職され、生活の場を日本からアメリカに移され、 Claremont Graduate School, 1980~83; University of Hawaii, 84~85; Haverford College & University of Chicago, 86~87 と、各大学で講義を行なわれました。クリストファー・アイヴズさんは、クレアモント大学院で阿部様の指導を受けられました。一九八四年からは、阿部様とクレアモント大学のジョン・カブ先生とが中心になって仏教とキリスト教との神学対話が開始されました。私の知る限りでは次の通りです。
 The Buddhist Christian Theological Encouter: (1) in Hawaii, Jan., 1984; (2) at Vancouver School of Theology, Canada, March 1985; (3) at Purdue University, Indiana, Oct., 1986; (4) in Berkeley, summer 1987; (5) at Los Angeles, March 1989.
 最後となった第六回は一九九四年七月、日本の福島県磐梯荘で行なわれました。阿部様は、FAS協会の会員としてはご自分以外のものにも参加してもらいたいと思われ、たまたま一九八二ー三年にミシガン大学の仏教学客員教授として出講しました私にこれらの対話に参加することを要請されました。私にはそういうことへの準備は全く有りませんでしたが、無能を承知でご要請をお受けし、大乗仏典『白隠』執筆時の第四回以外はすべて参加するという貴重な機会に恵まれました。  
 これらの対話の内容は、ハワイ大学東西宗教プロジェクト一九八五年以来発行の Buddhist-Christian Studies, the East-West Religions Project, University of Hawaii に収録されているはずですが、他にも阿部様以外の方による書物を私は二冊入手しております。
(The Emptying God A Buddhist-Jewish-Christian Conversation, ed. John Cobb, Jr. & Chrsitoher Ives, Orbis Books, NY 1990; SPIRITUALITY AND EMPTINESS, Donald Mitchell, Paulist Press New Jersey 1991)
 一九八七年十二月ボストンで開催されたポール・ティリック協会で発表されたランドン・ギールキー教授の「ティリッヒと京都学派」とそれへの阿部様の応答との二つのペーパーを頂戴しており、今回読み返して、はじめて要点がよく理解できたという思いです。同様のことは凡ての対話について云えると思います。私の方は、自分の仏教の勉強が今日の段階にきて漸く、それに対応して、阿部様がご論文・ご著書で述べておられることがなにがしか把握できて参ったように感じます。ご期待に反する悠長なことで、お恥ずかしい限りです。実は、今回、一九八六年八月に頂戴しましたご著書 Zen and Western Thought, Masao Abe, ed. by William R.LaFleur, Univ. of Hawaii Press, 1985 の幾つかのご論文を編集者の助言に基づいて選び読み返しまして、はじめて、ご著書が英語圏の読者に強く訴えたことの理由を知った思いです。(ティリック協会のときの二つのペーパーに添えて下さったお手紙でご著書が同年同月同地で開かれた American Academy of Religion で one of the three Books of Excellence for 1987 に選ばれたと教えていただきました。)英文で初めてのこのご著書は、仏教研究者が西欧の哲学・宗教思想と対比して自分の仏教研究を進める上で極めて優れた指針を提供するもので、私自身、もう少し早くから熟読すべきだったと反省致しております。
 阿部様の海外ご出講は、一九九四年前半、オランダ、レーデン大学でのご講義を最後になさったと思いますが、阿部様のご活躍がよく知られていましただけに、このご講義も注目を集めるものであったように伺っております。日本国内では、西谷啓治先生と土井正俊先生とが中心になって始められ、その後ヴァン・ブラフト氏、そして上田閑照氏が会長になられた「東西宗教交流学会」の集まりでも阿部様は、重要な役割を果たされましたが、このことへの言及は省略させていただきます。
 帰国された阿部様は、日本語のご著書を続けさまに発表され、ことに最初の『根源からの出発』(法蔵館、一九九六年)は協会会員にとって有り難い書物です。英文でもっとも最近のご著書は、私の知る限りでは、二〇〇四年四月初めに頂戴しましたZen and the Modern World, ed. by Steven Heine, Univ. of Hawaii Press, 2003 と存じます。その序文では編集者が阿部様のお立場をていねいに紹介し、根據のない偏見に基づく誤解を斥け、きわめて妥当な評価を提供し、読者に大いに参考になるものとなっております。集められた諸論文はすべて、西欧の哲学・宗教に関心を寄せる人々に深い共感をもって読まれるものとなっているように思います。仏教を学ぶものにとりましても、空ということの本当の意味を考える上で大いに教えられます。
 以上、私の知ります範囲で、刮目に値いします阿部様のご活躍の跡を辿らせていただきました。阿部様のお葬式の弔辞でご親友の方が阿部様は師・久松先生を超えるお方だったと評価されたことには、理由なきにしもあらずと存じます。ただ、阿部様のご活躍を可能にしたものは紛れもなく、久松先生とのあの徹底した相互参究があって、その上で久松先生が提示されたFAS構想を阿部様が正面から受け止められたことでありますことは、疑いありません。他に追随を許さない見事なお受け止め方に、心から尊敬申し上げます。
 海外での阿部様のご活動に触発されて協会の活動に関心を寄せてくださった外国人の方々も少なくはなかったと思います。そういう方々の間で始められた FAS Newsletter そしてその後の FAS Society Journal (1987~99) の発行につきまして阿部様から特別のご関心を寄せていただきましたことは、有り難いことでした。その後、協会委員会のご了解を得まして後者、英文ジャーナルの発行を停止し、編集者三人が、個人間の合意に基づく作業として、阿部様には監修をお願いすることにし、今までに英訳された久松先生のご論文を集める英文選集の編集に取りかかりました。しかしながら、既訳の安易な扱いがもたらす問題の処理について、根本的な解決を求める立場と早急な現状処理の立場との相容れない考えの相違で作業の中止に立ち至り、解決のための合意には至らずに、お互いの大変な労力が実らないまま、残念ながら解散になりました。既訳を「安易な扱い」に委ねずに厳密に検討し既訳者の了解が得られる仕方で改訂版を作成することをしなかった責任は、最年長者の私にあります。遅ればせながら私が最近とり始めました具体的な処置につきましては、阿部様からご応答はいただいておりませんでしたが、私信でご報告申し上げたとおりです。そのほかに、この企画を個人の立場から協会の企画として取り上げていただくように委員会にお願いし、了承されましたのが阿部様ご逝去の直前、九月二日のことでした。私の対応の稚拙さと遅さとをお詫びしつつ、最終のご報告をして、お別れの言葉とさせていただきます。生涯のご愛顧に深謝申し上げます。