阿部正雄先生を偲ぶ
  江尻 祥晃        


 私がはじめて阿部先生にお会いしたのは、昭和五十年に奈良教育大学に入学した時である。その頃、阿部先生は一般教養で教員の卵達に宗教学を講じておられた。私も教員の卵の一人として、一回生の時、その講義を受講し単位を修得したが、面白くて、二回生、三回生の時もこっそり教室の隅で聴講したことを覚えている。
 もちろんその時はまだ、阿部先生がFAS協会の道人であることも、久松真一先生の高弟であることも全く知らなかったが、目の鋭い、ちょっと他の先生方とは雰囲気の違う人だなあとは感じていた。
 私が入学したての頃の阿部先生との面白いエピソードがある。私は入学当初、仲のよい友人数名と、宗教・哲学同好会なるものを作ろうと思ったことがあった。動機ははなはだ不純なもので、その時、大学の部室が一つ空いていて、そこが以前に宗教・哲学同好会の部室であったと聞き、それならば自分達の手でもう一度復活させようということになったのである。要は自分達のたむろする部室を持ちたいというだけの単純な理由であった。友達と相談した結果、同好会といえども顧問の先生が必要だろうということになり、それならば宗教学の阿部先生あたりが妥当だろうということになった。そして、善は急げと、軽い気持ちで校内を歩いておられる阿部先生に声をかけたのである。
「先生、僕達の宗教・哲学同好会の顧問になっていただけませんか?」
 宗教学の講義を一〜二回受けたぐらいで、ほとんど面識のない者達が、図々しく何のアポもなく、先生の前に立ったのである。
 当然、先生の答えは 「ノー」
であった。
 私たちのいい加減さをすぐに見抜かれたのであろう。
「もう少し、ちゃんと考えてから、もう一度来なさい。」
と言ってくださったような気もするが、私達は行かなかった。そして、それぞれ別のクラブ(部活)へと入っていった。
 あの時、私達がもう少し真剣な思いでお頼みし、先生が顧問を引き受けてくださっていたら、どうなっていただろうかと、時々、思い返し、残念に思うのである。
 もう一つの思い出は、友人が中学校社会科教員養成課程(中学・高校の社会の教員になるためのコース)の学生であったが、四回生の時、阿部先生について卒論を仕上げた。卒論のテーマはキェルケゴールだったと思う。私は小学校教員養成課程(理科専攻)だったので、全く関係がなかったが、友人に頼み込んで、ゼミ等に潜り込ませてもらった記憶がある。
 その友人は、常々、阿部先生のことを「あの人は悟っている。目を見ればすぐ分かる」と言っていた。卒論の担当教官として親しく接している彼がそう言うのだから本当なのだろうと思ったものである。
 その友人の下宿に行くと、本棚に久松真一著作集が並んでいた。私は以前から禅に関心を持っていたので、鈴木大拙などの本はよく読んでいたが、久松真一という禅者の名前は知らなかった。友人にその本を借りて読んで、分からないなりにもすごい人だなあと思ったものである。多分、その友人から阿部先生が久松先生の高弟であると教えてもらったのだと思うが、記憶が定かではない。
 その友人は、その頃、何度か京都のFAS協会の平常道場にも参加したことがあると言っていたが、私が足繁く通い始めるのはもう少し後のことである。
 阿部先生がアメリカへ渡られるということで、奈良教育大学で公開講座(最終講義)が開かれた。「神と縁起」というテーマだったと思うが、当然、私も参加し、熱心に聴講した。もう二度と日本には帰ってこられない(アメリカの地に骨を埋めるおつもりらしい)ということも人づてに聞いていたので、これが見納め、聞き納めと真剣にノートをとって聴いたのを覚えている。
 私がFAS協会の平常道場に通い始めて数年後、縁あって、阿部先生のご自宅へ単身、訪問インタビューする機会を得た。その時の記録は、風信第十八号・第十九号に掲載されている。私のつたない、しかし真剣な問いに、真摯に答えてくださったことを心から感謝している。
 以下に、その時の阿部先生のご発言をいくつか再掲載させていただき、FASを真摯に生き抜かれた先生のご遺徳を偲びたいと思う。

【風信第十八号】
一、FAS禅の特徴について
「今までの禅は自己の内面に徹することのみ集中して、そこから発して社会の次元、歴史の次元で積極的に働くということが乏しかった。」
「内へ徹することが同時に外へ働き出るということでなければならない。」
「伝統禅は己事究明にほとんど終始している(自利の面)。利他の方は空念仏になっている。」
「FASは教団的な禅、禅宗としての禅において、おおわれ、くらまされていた禅の本質的なモメントを取り出してきて、それを現代に生かそうとしている。」
「現代的な問題に対して(伝統)禅は背を向けて、己事究明に専念している。」
「FASは己事究明を離れないところで、現代の諸々の問題に取り組もうとしている。」
「私は己事究明と共に、世界究明、歴史究明がなされなければならないと思う。そして三つの究明が、我々の主体の中で、我々の実究や論究、修行や生活の中で一つに結び合っていなければならない。」

【風信第十九号】
二、FASにおける修行の方法
「己事究明の面においても、FASは一つの新しい境地を開いてきていると思う。久松先生が強調されたのは、あくまでも自己が自己自身に目覚めるということです。」
「FASの場合、具体的には参禅ということでも、それは相互参究であって、独参ではない。」
「伝統的な独参の場合にも、主体と主体とのぶつかりあい、即ち相互参究的な参禅が行われている。むしろ独参と言われるものも、本来は[相互参究]であるわけですが、現実には必ずしもそうなっていない。それでFASではその点を、形の上でもはっきりさせ、形式内容ともに相互参究に徹しようとするわけです。」
「あなたが私に参ずるのではない。私に参ずるということは、あなたが自身に参ずるということでなければならないととうことを(久松)先生は非常にはっきり言われた。」
「坐禅もまた、ただの只管打坐ではないし、単なる瞑想でもない。一切を放下して坐に徹するということが、そのまま本来の自己に目覚めた姿であるということですね。そういう形で己事究明の面でもFASは、とかく形骸化した従来の禅と違って、その本来の姿を現代の中に生かそうとしてきていると思う。」
「自己に目覚めるのだから、師匠に頼ってはいけないと言ったが、そのことは必ずしも師匠につく必要がないという訳ではないのだ。むしろ正師につく、正師を選ぶということは、禅の修行上、極めて大切なことで、例えば、道元は、その人の悟りが正しいかどうかは、その人の師匠が本物かどうかによる。もし本物の師匠に会えなければ、修行しない方がよいというくらいに、正師を選ぶことの大切さを強調している。これは我々の場合でも同じことで、正師を選ぶということは非常に大切だと思う。」
「師が大事だということはどういう意味かというと、師は自己が自己の本来に目覚める上の、言わば不可欠な機縁として大切なわけです。いくら目覚める根拠が自分の中にあると言っても、それだけでは抽象的で、具体的にはそれが目覚めるためには何らかの機縁というものがなければならない。」
「禅の場合、目覚める根拠となるものは、有的な根拠でなく、無的な根拠である。それは機縁と区別された限りでの根拠ではない。むしろそれを内へ超えたものであり、その意味では、それは根拠ならぬ根拠です。久松先生はそれを[形無き自己]と言われたわけです。[形無き自己]と言われたのは、それは機縁でもなく、機縁と区別された限りでの根拠でもないからであり、しかもそれをあえて[形無き自己]と言われたのは、それこそが真の根拠であるからにほかならないからです。従って、『形無き自己に目覚める』というところでは、根拠であるべきものと、機縁であるべきものとの不可逆な関係は超えられる。機縁がそのまま根拠であり、根拠がそのまま機縁である。ですから、本来の自己に目覚めるところでは、師弟は全く契当し合うわけです。形無き自己に目覚めた端的においては、師弟は全く不二です。」
「真の師匠は弟子にとり単に機縁に止まるものではなく、同時に目覚める上の根拠になるものですが、しかし、それはあくまで根拠ならぬ根拠、無的根拠という意味においてです。つまり、師匠が無媒介に、弟子の目覚めるための根拠になるのではない。むしろ師匠は、一面あくまで機縁であって、機縁以上のものではないということがそこになければならない。また、目覚める根拠は師匠の方にあるのではなく、自分自身の方にあるのであるということもはっきりしていなければならない。その上で、自分自身に目覚める真の根拠は、まさに[形無き自己]であると自覚された時、自他の別、根拠と機縁の区別を超えて、師弟の契当が実現される。」
「久松先生なき後のFAS協会はどうすべきかという問題に我々は直面している。」
「お互いに相互参究する者が、未熟であっても、本当に真剣にひたむきに求め合い、究め合うということがなければならないと思う。…厳しさはまず自己批判の厳しさを含まなければならない。…FASの平常道場や別時学道というのは、坐禅実究の場であると共に、そういう切磋琢磨の場であるということを、道人が十分自覚することが必要ではないかと思う。」