「自心が外として見られているだけ」

楞伽経の根本的立場の表現

        

常盤 義伸

 

一 自分のことに再三言及して恐縮ですが、2003年7月に私は『楞伽経』研究として、四巻本漢文テキストとその訓読、この漢文によって再構成した梵文テキスト、その英訳、日本語訳の四冊を私家版の非売品として各百冊作成し、自分用を残して、印刷所から提供された余分の各十数冊を含めたすべてを、交流のありました国内外の研究者や関係の深い研究機関、希望された個人、に贈呈しました。研究機関には四冊全部、研究者には適宜、梵漢、梵漢、漢日、梵英、あるいは日または英だけ、を進呈し終わりました。最近、梵文と英訳との二度目の訂正表を作成してそれぞれの所持者にお届けしました。これは、9月9日に日本印度学仏教学会の学術大会で楞伽経の識論を発表しましたさいに私の研究に関心を示されたインド哲学の専門家に梵文と英訳とを進呈することをお約束したことが、その動機でした。

 一方で、協会の平常道場の活動のうち、毎月一回、論究の時間に参加者の皆様とご一緒に楞伽経を上記の日本語訳と英訳を用いて読み進んで巻一、三、四を終わり、今は巻二を読み始めております。仏教学専門の研究者ではない一般の、ただし佛教思想に深い関心を示される会員の方々とご一緒にこの大乗経典を読み進みますことは、うまく行けばきわめて有意義なことと思いますが、実際には大変な困難を強いているのではないかと恐れます。それでも私が関わっています間はやむをえず皆様がおつきあいをして下さっておりますので、私の方は研究に一貫した持続性を恵まれております。久しぶりの学会発表をする気になりましたのも、全くこの論究継続のおかげと有難く感謝申し上げております。

 9月初めの論究のさいに参加者のなかのドイツ人の方から教えられて楞伽経のドイツ語訳(1995年発行、2003年再版、"Erstmals aus dem Sanskrit uebersetzt" 「欧文による、[南条校訂]梵文からの初めての直訳」)を、会員の方のご協力で手早く購入でき、序文と、今論究で読み始めた箇所とを、独英辞典で殆ど一語一語確かめながら読みましたが、残念ながら全く楞伽経の立場への理解が見られず、梵文の明らかな誤訳も少なくなく、とても皆様にお薦めできるものではないことを知りました。訳者と序文執筆者とは別の方で、しかもそのどちらの紹介も与えられておらず奇妙な書物ですが、二回の出版がなされたということです。書名等は次のとおりです。

  "Lankavatara-Sutra :  Die makellose Wahrheit erschauen : Die Lehre von der hoechsten Bewusstheit und absoluten Erkenntnis" Aus dem Sanskrit von Karl-Heinz Golzio; Einfuerung von Eckhard Graf, O.W. Barth Verlag, Zweite Auflage 2003 (『楞伽経 無垢の真理の看取 最高の意識と絶対的な認識』梵文訳者カールハインツゴルツイオ、序文執筆者エッカードグラーフ。オー・ヴェ・バルト社出版、2003年第2版)

 このドイツ語訳書は、その終りに、過去に出版されたテキストと翻訳として、南条校訂版梵文1932年、ヴァイドヤ版梵文1963年(南条版を基本にして個人的な修正を加えたもの)、鈴木大拙氏の英訳(南条本の通じない箇所を唐訳で修正したもの)1932年、高崎直道氏の梵文第6章「刹那品」改訂版(入手できる限りの写本によって南条本に修正を加えたもの)1981年、を挙げていますし、研究書として、鈴木先生の英文楞伽経研究はもちろん、高崎氏の英文論文2点、ほかにFlorin G. Sutton:

"Existence and Enlightenment in the Lankavatarasutra," N.Y. 1991 などの名も挙げられています。不思議なことに私の見る限り、そういう先行書の影響によるテキストの内容理解の改善の跡がこのドイツ語訳書には見られません。影響があるとすれば、楞伽経には全体を一貫する思想が認められず、ただ個々の章節に勝れた内容が籠められていて、その全体は雑然とした雑記帳のようなものだ、とする理解は、従来の研究に共通するところで、その限りでは大いに影響を受けているといえましょう。

 そんな状況を見まして、今回『風信』への寄稿の機会を恵まれましたのを幸いに、少し難しいことになるかも知れませんが、楞伽経の立場とは何かを、私の理解するところに従って簡単に紹介させていただきます。

 前置きが長くなっています理由は、第一に、現在読まれています楞伽経の梵文テキストが乱れたままになっていて読み通すことが不可能で、それのチベット語訳も状況は全く同じであるため、研究が停滞したままであるなかで、私が最古の漢訳(グナバドラ訳四巻本、劉宋訳443年)によって梵文を思い切って再構成し校訂することによって、この経典の首尾一貫した思想が明らかになったことを申し上げたかったことにあります。現行の梵文テキストは三つの漢訳の第二(十巻、ボーディルチの魏訳、513年)と第三(七巻、シクシャーナンダの唐訳、700704年)の中間に位置する内容になっていて、テキストの乱れは共通していますが、唐訳は第一の四巻本と魏訳とをつきあわせたような形をとっていて、漢文としてはもっとも読み易いものです。しかしその基本の構文は四巻本とは違います。

 梵文テキストの註釈としては、12世紀にインドからチベットに入って楞伽経の解説をしたジュニャーナシュリーバドラ(智吉祥賢)の註釈のチベット語訳が残っています。楞伽経のチベット語訳には、梵文からと四巻本からとの二種類ありますが、このインド人仏教学者はそのどちらをも参考にした気配がなく、現行のものと殆ど同じ梵文テキストを用いて註釈を加えたようですが、梵文テキストの読めない箇所は避け、或いは文脈がつかめないまま妙な解釈を下し、しかも食肉品には殆ど触れずに終わっています。

 漢訳四巻本を用いた中国、日本の14世紀の研究者の註釈は、全体の論旨を把握するのにだいたい成功していますが、註釈者が梵文を見る機会はなく、生硬な理解に終わっています。そのうち鎌倉時代の禅僧、虎関師錬の註釈『仏語心論』(1325年)は、そういう状況の中で、実に立派なものです(仏語心、仏陀たちの言葉の核心、とは楞伽経のサブタイトル)。経典の表現の微妙なところで師錬は、梵文テキストを見ることができれば理解は飛躍的に進むはずなのに、と歎いています。大した見識です。高崎直道氏の『楞伽経』大蔵出版、仏典講座17、1980年、は四巻本の価値を認め、それに基づいて部分的に解説された最初の貴重な試みです。

 

二 楞伽[アヴァターラ]経(ランカーに仏陀が入って説いた大乗の思想と実践の教え)は、決して首尾一貫しない雑記ノートのようなものではなく、インド大乗仏教の最後で最高の思想水準を提示しています。楞伽経は、大乗の涅槃経を承けて涅槃を歴史上の過去の出来事だけではなくすべての人々の現在の本来の在り方の目覚めとすることを基本の立場とし、修行者の修行の具体的な在り方は華厳経十地品に説く第八地を起点として修行の段階区別を離れ、人間本来の在り方に人々の目覚めを促す仏の誓願を己の願いとし、思想的には瑜伽行派の唯識思想を活用して般若中観思想を展開し、さらに当時のインドの主要な宗教思想であったサーンキャ派の哲学を徹底的に批判することで仏教思想の本質を内外に示した、ということができます。ナーガールジュナ、アサンガ、ヴァスバンドなどの論師たちよりも後に出現しながら経典という表現形式をとった楞伽経は、論書のように論理上の議論に終始するものであってはならず、言葉を絶する人間本来の在り方の目覚めをその基本とし(「宗通」)、この目覚めから、目覚めていない人々にぜひ目覚めてもらうために言語活動をする(「説通」)という、目覚めた真理に通ずる二種の方法を旨とするもので、その趣旨を仏陀と大衆の代表者マハーマティ(「大慧あるもの」)との間の問答として展開した経典であることは、中国禅者たちにも周知のことでした。

 この経典のいわゆるキーワードを一つ挙げるとしますと、それは漢訳では「自心現量」(スヴァチッタドリシュヤマートラ、対象として見られているものは自心にほかならず、単なる対象ではない)というもので、禅者の表現では「心外無法」という言葉がよく知られています。「祖師西来意」を問われて唐代の禅者の一人、趙州従諗は「庭前栢樹子」(目の前の栢の木)と答え、さらにこれは単なる対象をいうものではないかという反駁を斥け、同じ問いに同じ返事をくり返しました。インドからはるばる山川を越えて中国に入り、慧可と道育とに大乗安心の道を伝えたとされる「法師」(ダルマ大師)の教えを基にして弟子たちの言葉を集めた『二入四行論』には、実にその「自心現量」の語とその考え方とが、紛れもなく見られるのです。

 この「自心」は、唯識学派でいう「アーラヤ(根本)識」のことで、一切の行為と思量との基としての自己を指し、現実の我々の身体と、身体が生活する上での対象となるものと、そしてそれらのおいてある場所、としてこの自己である心が現象する、とされます。「心」と云っても単なる心理現象だけではなく、自己と自己が関わるものすべてと、そしてそれらのすべてのおいてある場所として現象しながら、その現象が自他を離れているところを「自己である心に外ならない」として、心が心であることをも離れることを含意します。つまり「心」は、自他を分別するという意味で使われる言葉であると同時に、自他を離れて無相である真の自己をも表します。ただし、このばあいは「心だけ、心に外ならない(「唯」または「量」)」、あるいは「無心」として限定します。自他を離れている在り方こそが自他とされる一切のものの「如(真のあるがまま)」であることを悟らずに貪欲、瞋恚、愚癡の煩悩に振り回されて自他、内外を分ける考えをもとに生活するために、これが迷妄の生活のもとになる点で、アーラヤ(根本)識と云われるわけです。しかしこれが迷妄の基であって本来ではないと知るとき、人は如を悟る智を得ることになります。そしてアーラヤ識は目覚めていない如ということになります。

 アーラヤ識が目覚めていない如だということを楞伽経は、「如来蔵という名のアーラヤ識」と表現します。「如来蔵」とは、「如来たちのもと母胎、タターガタ[ーナーム]ガルバ)」と説明されています。「如来たちのもと」とは、「如」に外なりません。それですから、上の表現は「如という名の、目覚めていない如」という矛盾した表現になります。ここのところを、『大乗起信論』は「不生不滅と生滅との和合」と呼びます。「和合」とは、本来の不生不滅に目覚めない生滅的な在り方、ということを意味します。決して両者が混合しているなどという意味ではありません。和合が破れるとは、我々が生滅と捉える在り方が生滅を絶すると悟ることを云います。このように起信論は、楞伽経の立場を踏まえて「一心二門」の論を展開する貴重な独立の論書です。楞伽経の思想を的確に紹介する同時代の論書は、インドにも中国にも、他にありません。

 サーンキャ派の思想は、迷妄のもととしてのプラクリティ(「本来の自然」)またはプラダーナ(「本性としての自然」)と呼ばれるものと、迷妄を離れた、智そのものであるプルシャ(「人、男」)との二元論を特徴とします。現実世界は、見るだけで何もしないプルシャの智を自我意識として歪めて取り込んだプラクリティの展開する現象ですが、プラクリティが現実世界として現象することを通して、そこに潜んでいたプルシャが目覚め、現象世界が展開し切ったときにプルシャはプラクリティの迷妄の世界を離れて独存を楽しむ、そのことが解脱と考えられています。プルシャは複数ですので、プラクリティは別のプルシャの解脱の為に新たに現象を展開します。

 楞伽経は、このサーンキャ派の二元論を斥けて仏教の本来的な立場を明確にするために、ずっと古い『勝鬘経』に現れた「如来蔵(タターガタガルバ)」の思想を借用するわけです。ところが、仏教研究者のなかでさえもこのことを十分に理解せずに、「如来蔵」という概念をサーンキャ派のいうプルシャと同じ方向で「如来の胎児」として理解する、二元論的な擬似サーンキャ派の傾向が見られます。しかしこれは、大変な誤解です。言葉としては胎児と母胎とは、原語でともに「ガルバ」と云い一体のもので別ではないのですが、母胎が一体性を基本とするのに対して、胎児は離れて独立することを本性とします。アーラヤ識の古い殻を破って新生の胎児が呱々の声を揚げる、と云えば、これは、独立変化を強調する大変力強くて素晴らしい表現ですが、これは祝福する母胎があってのことです。なぜなら、胎児が母胎を離れて独立変化をとげたとしても、そのことは母胎の本来の願いであり、一方、離れることが実は離れることではないという意味があるからです。ところで、迷妄の根源であるアーラヤ識の中に解脱の可能性としてアーラヤ識とは異質の如来の胎児が潜んでいると考えますと、これは、先に触れました、サーンキャ派のいうプラクリティの中に隠れていたプルシャがもともと異質のプラクリティを離れることで解脱が成立すると主張するのと全く同じ図式になります。プルシャにとってプラクリティは、自由を拘束するものであったわけで、いわゆる母胎の意味は全くありません。これに対して、楞伽経がアーラヤ識を如来たちの母胎とするとき、それはアーラヤ識がその在り方の根底を転ずること、転依、によって真にその本来の在り方、如が現成することを意味します。それで、アーラヤ識を目覚めていない如であると云うことができますが、そのアーラヤ識が如来たちの母胎、如、と呼ばれるということは矛盾ですけれども、私はこの矛盾が重要だと考えます。それはアーラヤ識が自身アーラヤ識であることを自覚して即今如に転じる方向を示すからです。

 久松真一先生は、母胎とか胎児とかいう概念をよく歌に使っておられます。(年次不順。カッコ内、常盤。ただし、読みは久松先生ご自身のもの。)

「モダン危胎(ばら) 蹴破ぶって飛び出しざまに ボストモダンと叫ぶ瞿曇(ゴータマ)」

「曾て道胤を懐妊してより 胎教辛苦 幾星霜 怪嬰忽ち娘肋を蹴破り 躍出して高く叫ぶ FAS」一九六〇年 FAS禅協会発足之年 仏誕偈

「呱々一声 娘胎を脱し 周行七歩 天地を指す 唯我独尊 あに奇ならんや 本(もと)これ無相の真の自己」仏誕偈(1970年) 

「無憂樹下 生れもあへず 稱尊の瞿曇は 衆生本来の自己」            

「独尊は瞿曇のみかは 万人の真っ裸なる己が面目」仏生会に二首(1979年)

「未だ母胎を出ざるに 人を度しをはんぬ 四十九年 労して功無し 笑倒す 人天の仏誕を頌するを *韶陽(雲門文偃)の通棒 共に喫却せよ」(1965年)

(注「挙す、世尊初生下、一手は天を指し一手は地を指して周行七歩し目は四方を顧みて云う、唯我独尊、と。師(雲門)云う、我当時若し見ば一棒に打殺して狗子に喫却せしめん、と。」雲門録。「挙(こ)す」とは、問題として取り上げて云うこと。)

 久松先生が云われる胎児には、未来の可能性という意味は全くなく、常に創造的な即今現在そのものを意味します。アーラヤ識の雲に隠れた如来の胎児という理解が、楞伽経についても禅にとっても異質であることは明らかです。このようにして、楞伽経が中国の魏の時代以来禅者たちに重視されたことには十分な理由があるだけでなく、仏教思想に関心を抱く人には必読の書であると私は考えます。それだけに、このテキストを研究者だけでなく一般の方々が読まれて、根源的な深い助言をそこから汲み取っていただけるようにしたいものと願っています。

 ちなみに、楞伽経のキーワードとして上に挙げました「自心現量」のほか、「自心」「自心現」「自心現分別」「唯心」を含む語の頻度数は、鈴木先生の編集された『梵文楞伽経梵漢蔵索引』(1965年)を基に四巻本で数えますと、約140回です。「如来蔵」は約30回、「有」は260回、「無」は約130回、「愚夫」「凡夫」が135回、「仏」「如来」が約220回、「法」が190回、これより多いのは「相」390回、「分別」270回などです。「自心現量」などがこの経典の中心概念であることは、頻度数からも明らかです。

付言 

一に言及しましたFlorin G. Sutton:"Existence and Enlightenment in the Lankavatarasutra : A Study in the Ontology and Epistemology of the Yogacara school of Mahayana Buddhism"(フローリンソットン『楞伽経の云う実存と悟り大乗仏教瑜伽行派の存在論と認識論との研究』)SUNY series in Buddhist studies, N.Y. 1991 が紹介する如来蔵思想の箇所を改めて読み直し、以前とは違った印象を受けましたので、一言所感を述べます。

 1993年7月、オランダから帰国して間もない頃、花園大学仏教学科教授、小林圓照氏からオーストラリア国立大学教授ドゥ・ヨング氏によるこの著書への厳しい書評(J.W. DE JONG: Reviews, Indo-Iranian Journal 36: 1993) の切り抜きコピーをいただき、当時花園大学国際禅学研究所研究報告第二册として発表する用意をしていました南条版梵文楞伽経の、最後の章を除く九章の、日本語訳注のまえがきにこの著書への私見を述べるために、幸い手元にもっていましたこの英文研究書を急遽読み通しました。今度重ねて同じ箇所を読み、大変参考になりました。しかし何よりも楞伽経のテキスト批判校訂の作業がきわめて重要な意味を持つことを痛感しました。著者ソットン氏が、西洋の宗教哲学の伝統にはなかったきわめて貴重な東洋の宗教思想に楞伽経と禅とを通して出会った喜びを表現しようと努めておられることに感動せずにはおれません。それだけに、梵文による仏教思想の表現を理解しようとされる懸命な努力の過程で、テキストが不良なためにつまずき、戸惑って、そのあげく楞伽経は首尾一貫しない雑記帳だという印象を承け継いでおられることに、研究者の一人として申し訳ない思いを強くします。具体的な例を一カ所挙げます。

「バラモンよ、自心が対象として現れているに過ぎないことを悟らないために、分別が起きるのだ、外の存在を依存すべきものとして認めるからだ。

「婆羅門、、、不能覚知自心現量、而生妄想攀縁外性」(巻三、T16, 503c

傍線の箇所は、四巻本の表現ですが、南条版梵文 (III, 177, 10)、漢訳のうち魏訳、チベット語訳一点、ジュニャーナシュリーバドラ使用のテキスト、鈴木先生の英訳 (p. 153) 、安井広済氏の日本語訳 (pp. 160 161) 、ソットン氏の英訳 (p. 44)、そしてお恥ずかしいことに上記研究報告の拙訳も、すべて否定詞が入っているために意味不通になっています。楞伽経の内容が首尾一貫しないのは、実にテキストの不備に依ると云うべきです。

(2009年10月27日)