「友愛」の逆説を超えて

            

山田 慎二

 

 私たちは、歴史的な転換期を迎えた。日本政治史上はじめての本格的な政権交代を経験したのである。他人事ではない。これは、まぎれもなく私たち自身が選択したことなのである。

 ある意味で、この選択は遅すぎたかも知れない。冷戦が終って20年。新世紀に踏み込んで9年。アメリカでは一足早く初の黒人大統領が誕生した。ヨーロッパではすでに壮大な国家統合が着々とすすんでいる。

 いわば世界の大きな変化のうねりに、日本はなぜ出遅れたのであろう。それだけ社会全体に危機意識が欠けていたとしかいいようがない。転換が遅れた分だけ、危機は一段と深まったといえる。

 はたして政治的な転換は、どこまで人々の社会的な転換につながるのか。さらに歴史を超えて文明的な大転換へ向けて一歩を踏み出すことができるのか。期待と不安が交錯する。

 私たちは、久松真一博士とともにポスト・モダニストの自覚に生きる。近代を超える価値観をもって現代を生き抜きながら、近代文明そのものの転換を問い続けるのである。

 わが国の新しい顔が登場した。その主人公は、まことに理解されにくい人物といえる。なにしろ、しばしば「宇宙人」と呼ばれる。旧政権の長老政治家からは   「甘ったるいアイスクリーム」と揶揄されてきた。

 「陽光に当たれば、たちまち溶けてしまうだろう」

 あの暑い陽射しの照りつける真夏の選挙戦において、文字通りに溶けてしまったのは、いったい、どちらの側であろう。旧政権は新しい政治潮流についてまったく理解を示そうとせず、軽蔑した。その結果は、見るも無残なものであった。

 それにしても、なぜ新首相は旧体制からあんなにひどく嫌われたのであろう。ここで目につくのは、彼がしきりに理想を口にすることである。この国では、理想が語られなくなって、すでに久しい。人々は理想が嫌いなのである。

 彼は、政治の理想として「友愛」の文字を掲げる。いうまでもなく、あのフランス革命において「自由」「平等」とともに三大スローガンの一角を占めた。それだけではない。激動の20世紀においても、切実によみがえった。しかも、戦後の日本と無縁ではなかった。

 敗戦による精神的な混乱が続くなか、昭和28年に一冊の翻訳書が出版された。原著者は、オーストリアの政治思想家クーデンホーフ・カレルギー。これを『自由と人生』の題名で翻訳したのは、鳩山一郎。現首相の祖父である。

 この書の最終章は「友愛革命」について集中的に語られていた。人間と国家のあり方をめぐって古代ギリシャ以来の政治思想の歴史をふり返り、さらに20世紀に台頭した全体主義国家に対して徹底的に批判した。そのうえで結論を出した。

 「自由のための改革が立往生し、平等のための革命が失敗した後をうけて、友愛による新たな革命が求められる」

 簡潔で明快な文章を読み直しながら、私は卆直な感想を抱いた。このメッセージは21世紀の現在に語られたとして、すこしもおかしくない。むしろ、いまこそぴったりではなかろうか。

 2009年は、いわゆる冷戦終結後20年にあたる。「平等」を鼓吹した共産主義体制がみずから崩壊したあと、何が起きたか。勝ち残った「自由」陣営は、強欲な金融資本主義の暴走によって、ついに破綻した。

 いま世界は、まさに平等主義が失敗し、自由主義が立往生している。この深刻な混迷のすえに、第三の理念として友愛主義が呼び戻された。今回の政権交代について、私たちは歴史的に絶妙なタイミングを感じることができる。

 「友愛のない自由は無政府の混乱状態を招き、友愛のない平等は暴虐を招く」

 クーデンホーフにいわせると、自由主義と平等主義の失敗する原因はハッキリしている。友愛の精神が欠けているからである。このキー・ワード友愛をめぐって彼は歴史上二回の革命を指摘する。

 「仏教とキリスト教である。両宗教は全人類をもって兄弟姉妹とみなし、互いに重荷を負担し合うよう呼びかける」

 いわばヨーロッパ発の友愛論が、モデルの一つとして仏教をとりあげた。これは注目に値する。キリスト教文明の側から仏教に対して、こうした眼差しを向けることは、大いに時代を先取りするものであった。

 私たちは、ここにクーデンホーフ思想の核心を見ることができる。じつは、彼はオーストリアの外交官を父とし、日本人女性を母として東京で生まれた。栄次郎という日本名も持っていた。民族を超え、宗教を超える友愛精神は、彼自身が体現していたのである。

 彼が生涯を通してもっとも熱心に活動したのは、欧州統合運動であった。1923年に著書『汎ヨーロッパ主義』を発表して各国首脳に働きかけた。第二次大戦後に欧州連合はスタートした。その先見性においてクーデンホーフ・カレルギーこそ「欧州連合の父」であった。

 いつの時代にも、理想主義は現実主義によって非難される。それにもかかわらず、私たちは確認することができる。ヨーロッパにおいて、ひとつの理想が世紀を超えて現実となった。

 私たちは長い間、勘違いをしていた。歴史的な錯覚といってもよいであろう。ほかのことではない。あらゆる「近代的なもの」の偉大な源流とされるフランス革命のことである。

 その栄光に輝くスローガンのうち「自由」と「平等」は理解しやすい。問題はもうひとつの理念を「博愛」と呼んできたことである。この日本語は私たちに崇高なイメージを抱かせる。

 ところが、フランス革命の実態について知れば知るほど疑念が湧いてくる。高尚な理念とは裏腹に、なんと大量の血が流れたことであろう。リーダーは暗殺され、多くの人民も虐殺された。そのあとにやってきたのは、すさまじい恐怖政治であった。

 イタリア在住の作家、塩野七生は、まさしく、この点に卆直な疑問を投げかけた。大作『ローマ人の物語』の作者は、フランス革命200年の節目のさいにあらためてエッセイに書いた。

 「われわれは日本語訳によって有害な幻想を抱くことになった」

 日本語で「博愛」と翻訳されたフランス語は「FRATERNITÉ」である。英仏独伊などの辞書で調べてみれば、いずれも「兄弟間の情」とか「同胞愛」という意味である。強いつながりを持つ者同士の愛は、いわゆる博愛精神とはいえない。

 博愛とは、すべての人類に対して、いかなる差別も設けずに広く平等に愛するという意味であろう。戦前の日本の「教育勅語」のなかに「博愛、衆に及ぼし」というくだりがあったように、むしろ東洋的な概念ではないかとさえ考えられなくもない。

 「〈フラテルニテ〉という言葉は〈博愛〉ではなく〈同志愛〉とでも訳すほうがわかりやすい」

 塩野が指摘するように、志を同じくしない者は敵となる。その相手に対して残酷にふるまっても〈フラテルニテ〉の精神からはずれることにはならない。恐怖政治が容認されるわけである。

 こうした見方がしだいに浸透したせいか、さいきんでは「フラテルニテ」の日本語訳は「友愛」という言葉が定着するようになった。日本語の語感からすれば「博愛」と「同志愛」との中間的なイメージといえるかも知れない。

 本家のフランスでは、どのように解釈されているのであろう。歴史学者のモナ・オズーフは編書『フランス革命事典』において、友愛論の多角的な分析を試みている。

 「〈自由〉と〈平等〉にくらべて〈友愛〉は遅れてやってきた」

 つまり革命期のなかで、1792年8月までは「自由」が勝利した。次に「平等」の番が来た。さらにモンターニュ派の独裁とともに「友愛」の時代がはじまった。三つの原理が並んで憲法に書き込まれるのは、1848年まで待たねばならなかった。

 もともと「自由」と「平等」は、18世紀の啓蒙思想以来、人民の権利として主張された。これに対して「友愛」は道徳上の義務であった。キリスト教の影響のもとに、いわば「新しい三位一体」として理念の三点セットが完成したとみることもできる。

 とはいえ、革命の進展によって「友愛」は万人のためのものではなくなった。「貴族に祖国はない」という叫び声とともに友愛から排除された。やがて「友愛か、さもなくば死か」という有名なスローガンのもとに「友愛」は穏健派に対する闘争の武器として猛威をふるった。

 「ここには友愛という美しい言葉の皮肉な逸脱がある」

 友愛を守って死ぬことは、友愛に対する潜在的な敵に立ち向かって死ぬことである。この場合、暴力は外部の敵だけでなく内部の敵にも向けられる。疑いや疲労や絶望も敵なのだ。これは、友愛であるとともに恐怖である。

 こうした分析からオズーフは、フランス革命における友愛の理念をめぐって二つの立場の対立を指摘する。厳密に民主主義的な見方をとる人々は、友愛のもつ曖昧さを嫌った。逆に社会主義的な解釈を信奉する人たちは友愛を称賛した。

 いったい友愛とは、なんであろう。歴史的名著『フランス革命史』で知られるジュール・ミシュレにとって、友愛とは自由と平等の完成である。ルイ・ブランにとって友愛は、自由と平等の異議申し立てである。いずれにせよ、歴史上の友愛は逆説をはらみ、政治的な対立を生んだ。

 政権が交代して初の国会は、きわめて印象的であった。野党に転落した旧政権与党のベテラン議員たちは、まるでしめしあわせたように、議席でうつむいて居眠りをしていた。新首相の演説に耳を傾けるつもりはない。そんな態度をあからさまに示していた。

 その姿をまざまざと目撃したとき、私はとっさに気がついた。これこそ、みごとなまでに象徴的な光景ではないか。いわゆる現実主義者とは、従来通りの現状にすっかり満足して眠りこける人たちのことであろう。

 一方、壇上の新首相は滔々と理想を語る。その理想は、はたしてどこまで現実に対する根本的な批判と深い絶望の底から掲げられているのか。それが問題である。ただ理念に酔って夢を見ているだけならば、やはり眠っていることに変わりはない。

 いま私たちに問われるのは、むしろ目覚めることである。惰眠をむさぼったり、いたずらに夢を見ることではない。しっかり目を開いて複雑怪奇な現実の裏まで見通して見抜くことである。「能く現実の深底に徹する」以外にない。

 私たちが目をこらせば、ハッキリ見えるのは近代文明そのものの深刻な行き詰まりである。たとえば、アメリカには健康保険がないために、病気になっても医者にかかれない人たちの数が、5000万人にのぼる。これが世界一の経済大国の実態である。

 「国民皆保険」の実施は、オバマ大統領の公約であった。ところが、いざ実行しようとすると、たちまち多数の国民が猛反対の声をあげ、政権の支持率を急落させた。

 「貧乏人のために我々の税金を使うのは許せない」というのだ。ここには友愛精神のかけらもない。この場合、自由主義とは「自分さえ良ければよい」という露骨なエゴイズムの別名にすぎない。近代思想が美しく語ってきた理念は、醜く堕落した。

 狭義の友愛は、たしかにフランス革命を通して登場した。その一方で、カレルギーは仏教やキリスト教を友愛思想として解釈した。いわば広義の友愛において、私たちは歴史を超える視点へ歩み寄ることができる。

 ここで、私たちはもうひとりの日本人の名前を思い出すべきかも知れない。それはキリスト教的な社会運動家の賀川豊彦である。神戸のスラム街で献身的な活動をはじめてから、ことしで100年目にあたる。その活動組織は、友愛会と名づけられていた。

 近代文明の危機について考えるとき、私は歴史家、鈴木成高の名前も忘れることはできない。戦中から戦後にかけて、もっとも鋭い近代批判の考察をかさねていた。いかに近代を克服すべきか。その転換を彼は「精神の改革」と呼んだ。

 「この精神の改革は、おそらく新しき宗教を求めて超ヒューマニズム的な努力を必要とする」

 久松博士の論文『絶対危機と復活』は、まさにその “新しき宗教 ”のあり方を全面的に展開されたものと私は考える。危機は相対的ではない。人間と歴史にとって絶対危機の自覚が問われる。

 「人種、国家、貧富の別なく、みな同胞として手をとりあい」

 FAS思想の悲願というべき「人類の誓い」は、なんとわかりやすく見えることだろう。そして、考えてみれば、これほどむずかしいことはない。その困難を痛感したとき、私たちは「友愛」の逆説を超えることになるのであろう。