人間成立の根拠(一)

米田俊秀
『風信』32「人間成立の根拠」
 我々はものに関わりものを知る。知は対象的に知る対象知のみに限られるのではない。対象的に知るその主体が主体自身を知る、つまり自己が自己を知る自覚に我々の存在は成り立つのである。自己が自己を知る自覚に於いて自己は自己を超越する意義をもつ。そのことに即して自己の根拠を知るのである。宗教もそこに関係する。

 宗教の問題は、人生の悲哀を深くみつめることに、つまり自己の根柢に深き自己矛盾を見つめて行く時に起こるのである、と西田〔幾多郎〕はいう。人間の生命の根柢に深く生命の自己矛盾を自覚すること、またその事を媒介としてのみ我々は宗教に入るのであるという。つまり死の自覚にあると考えられている。死すべく生まれるという事にある。

 ここに「何者が真に自己をして自己たらしめるのであるか。何者が我々の自己に真に自律的なのであるか」が根本的に問われなければならない。即ち「真の自己存在」(久松はそれを「絶対自者」という)が問われる。自己自身によってあるもの、絶対なるものは、最完全者あるいは絶対超越的神として対象論理的に考えられたものでなく、自己の中に、絶対的自己否定を含むものである。絶対矛盾的自己同一なる神である。それは自己が絶対的無になるという意味を持つものであり、西田は一面ケノーシス的でなければならぬという。それ故、仏あって衆生あり、衆生あって仏ありといい得るのである。そこを「逆対応的に神に接する」という。超越的なるものとともに内在的、内在的なるとともに超越的なる神を直覚するのである。しかし、西田は神と世界を汎神論的に同一とみるのではなく、神は世界を自己の中にもち、かつ世界を超越するという万有在神論的に捉える。
(久松は信の宗教と覚の宗教をわかち、「神に接するということではなくして、全く神が全体的に自己自身に証せられることになる」と、覚証を強調し、有神論に対して無神論をとく)。


Data created on April 21, 1996