基本的公案と相互参究

--オランダの禅セミナーとリトリート(接心)に参加して-

越智通世
風信35(1997.2)
今年(1996年)のティルティンベルグ(アムステルダム郊外、カソリックの国際婦人解放運動の瞑想センター)のセミナー(7月29日〜31日)とリトリート(8月1日〜4日)は、

日本の禅 ヨーロッパの禅(ヨーロッパの禅ピイプルと日本のFAS協会との対話)

と案内されていた。常盤義伸氏、ジェフ・ショア両氏にお世話になりながら、英会話に聾と唖に等しい私も参加させていただいた。常盤さんは、ヨーロッパの企画委員会の要請に応え、久松先生の2つの「ポストモダニスト」対談〔「放談」「創造への礎石」〕と「相互参究について」の提綱の英訳資料に基く、質疑応答を交えての懇切な発表を行い、参加者に深い衝撃を与えた。ショアさんは企画委員でもあり、FASのヨーロッパ展開における数年来の尽力を踏まえて、セミナーでのオランダ、フランス、スウェーデン、ベルギーからの4人の多角的な発表の要点紹介と、さらに中心課題の片方である「基本的公案の欧米文脈的表現」の問題につき、自らの東福寺における参禅と公案工夫を踏まえての発表を行った。これらについては両氏の正確な報告にまち、以下私の体験と所見についてのみ述べさせていただく。

私は昨年のリトリート参加では、タイムキーパー(直日役)を請われ、7か国の老若男女45名の坐をリードする重責に、「どうしてもいけなければどうするか」の窮境を味わった。そして特定の師を立てずに相互参究する、FASスタイルのリトリート開催を、病躯をもって推進し、〔今は〕当墓地に眠るミミ・マレシャルさんに励まされつつ「大死一番、懸崖に手を撒して絶後に蘇る」永遠を感得し、その役割を果たした。しかし、今年は年初より、喜寿を迎えた同級生がつぎつぎと逝き、片身を削られる思いで「死の工夫」にせまられていた。セミナーのもう片方の課題にかかわる、ポストモダニスト自覚の活動どころではなく、自らの工夫の鞭撻する意図をもって参加した。

セミナー第1日冒頭の常盤氏発表のあと、次々と続く質問の中で、スイスの壮年神学者の7、8分にもおよぶ陳述と質問に、とくに印象づけられた。あとで内容を聞けば、ペルーのテロ騒乱の渦中に家族ぐるみの2年間をすごした体験を踏まえて、「世界各地の人間抗争の現実」に処するには、FASの諸理念のままでは、「観念的対応に終るのではないか」、と質したようであった。その夜の軽いアルコールタイムで彼(ベルナールさん)の姿を見かけ、自分の観念的でない気持ちを伝えたくて「死の工夫で参加している」といった。“久松は『私は死なない』と言ったではないか”「私は久松ではない。せめて全人類としての生命に融け込み、その生滅とひとつでありたいと願う」などと言い、ジェフ・ショアさんに伝えてもらった。

セミナー第2日では、坐禅歴25年、企画委員でもあるスウェーデンの音楽学者ヘンリック・カールソンさんの「不生を聴け」の発表の、最後に聴かされたテープの音楽の緊張した流れ(フロー)に「どうしてもいけなければどうするか」という私の工夫の緊張が同調するようだった。そして「音楽も人間の公案ではないか」と思った。その時私はわからなかったのだが、実は発表の中でも彼もそう訴えていたのだった。とくに頼んで、聴覚の生理的、心理的分析から始まった発表の原稿のコピーを貰ったので、帰国後じっくり取り組める楽しみを得た。(いまはそれについての手紙による相互参究のポイントを練っている。)

その夕食後は全員の所感発表によるセミナーの総括が行われたのだが、夕食の合図の銅鑼が鳴る前、不意にひとりの婦人に腕をつかまれ、玄関前のロビーのテーブルに導かれて、問いかけを受けた。(昨年の参加でもいっしょだったようだ)以下主として筆談。
“どうすれば誰にでも悟りが実現するか”
「最も大切な事は(自分はほんとうにこれでよいのかという)自己批判的態度を貫くことである。」
“私はこれを自分のために質問しているのではない”と擦れ違ってしまった。そうして、“問題は悟りは悟りでないかだ。悟りか悪魔の世界(間違った光)か”と畳みかけ、さらに“もし全世界があなたに背いたらどうするか”とせまってきた。私は押され気味に「アクセプト(受け容れる)」と答えた。“私も受け容れた。そうして3回独房に閉じ込められた”と言い、私の手帳に大きく「ZEN=〔ハート印〕…」と書き残して帰ってしまった。

恥ずかしかった。せっかくの相互参究にしっかり応対できなかった不甲斐なさ。何のためにオランダまで来ているのか…。翌日の運営会議で、リトリートの中で私も、常盤さん、ショアさんに通訳してもらい、有志全員との集団相互参究の時間がとられていることを知った。その力があるのか、できれば避けたい気持ちさえした。今年抱えてきている問題にあいまいさが残る。「どうしてもいけなければどうするか」と工夫は煮つまらざるを得ない。

翌朝も早く眼が覚めて坐った。暁天坐も必死だった。わが身も心も放ち忘れた「捨」-- その「捨」の至福感の無尽。捨てても捨てても尽きず流れる時のありがたさ。無尽蔵。(自受用三昧 -- 何も言う必要はない。世界中の万物は覚に相互参究している -- 事々無礙)そしてそこは生死の観念の外へ出てしまっているまさに「吾這裡に生死無し」である。

「私は死にません」といわれて、わかっているつもりで尚この心身にひっかかっていた。(普通私達は生きてきるのか死んでいるのかはっきりしていません.....)という意味のことが書かれてあった『起信の課題』の序論の、生死に関する箇所が思い出された。なおぼんやりと。だが今年もきてよかったとすっきりした。

リトリートの最初の日の午後の個別の相互参究でベルナールさんと筆談した。彼の結跏趺坐は美しかった。「どこで坐られたのですか」”私には脚にトラブルはありません。生れつきでしょう”(そうしてかつて辻村公一さんから基本的公案を学んだということであった)。「一昨夜、全人類の生命に融け込んで死にたいなどと言いましたが、基本的公案をつめた『捨』では生死の観念の外へ出てしまいます....如何でしょうか」”....。私はどうしてもいけなければどうするかと問われると涙がこぼれてきます。これもひとつの答えだと思う”と。その時すぐ ”基本的公案につくのは?ではなくて!でなければだめだ”と言ったという、アメリカの古参会員デマルチノさんのことを思い出し、そのことを告げた。(この”涙がこぼれてくる....”という彼の言葉は、日を経るほどに私に重くせまってくる)

翌日常盤さんの「相互参究について」の発表のあと、集団相互参究での私の役割は、当地での私の相互参究と基本的公案の工夫の実際について話すことだと思った。するといきなりひとりの男性が前へ出てきて、合掌を交わしたあと ”覚した後に罪の問題にどう対処するか”と問いかけた。皆のためのロールプレイング的意図もあったかも知れない。生真面目ではあるが型にとらわれた観念的な先走りに思えたので、「順序が逆のように思えます、自分自身の問題の解決が先ではないか」とことわって、まず先日の女性からの相互参究に、私自身明確に対応できなくて発奮した経緯を、ショアさんにその時の筆談メモにそって紹介してもらった。そして今年私が抱えてきた「死の工夫」については、昨年もらって帰っていたクリスタ・アンビークさんの ”死を考える”という論文の英文要約を数回読んで、底を流れる深い問題意識に刺激されてきたこと、加えてこの集団相互参究に臨むために必死で工夫し、「捨」の無尽蔵と「吾這裡に生死無し」の気づきを得たことを話した。”それは覚か”とすぐ別の婦人から問いかけがあり、「そうだ」と肯定した。そして罪への対処については、昨年のトン・ラトホウワズさんがここでのインフォーマル・トーク(FAS Society Journal 1996所載)で、ウィーゼル(ノーベル平和賞受賞作家)のアウシュヴィッツに関わる叙述を引用した(変えることのできない過去の行為への、免れることのできない責任を忘れることなく、いつも、いまこのこととして思い出すことが出発点だという趣意の)”インポシブル・クエスチョン”の工夫に深く打たれる。まさに基本的公案の欧米文脈的取り組みであろう。今年も彼の言動に接して「全露現前」の迫力を感じていると答えた。加えて ”どうしてもいけなければどうするか”と問われると涙がこぼれてくる。これもひとつの答えだと思う”という話も、名前をあげずに紹介した。デマルチノさんの?でなく!でなければならないという話も。さらには、ニコ・タイドマンさんに「ここの別のリトリートで道元の何を話していますか」と問うたが、”終るまではわかりません”と即答された--禅の著書が3冊もあて、どこまでも白紙で取り組む禅的態度そのものに打たれたこと等、昨年に続き接触の機会が重なった上述の方々との、相互参究の深まりの喜びを述べた。終ったすぐあとで ”流産して生と死を思って落ち込んでいたが、力が湧いてきた」等々3人の方から、直接のコメントやメッセージを受けた。期間中にはほかにもいろいろの形で、大切な相互参究をしあえた人々は数名ある。

最後の全員の評価交換で私は、「昨年も今年も来る時の私と、帰る時の私ははっきり違う。長年のFAS学道の大切な仕あげができた気持がする。これからは釈迦の涅槃像のような安らかさを願うよりは、このチャペル正面の十字架のキリスト像に倣う気持ちで、ポストモダニスト活動に殉じたいと願う。そう覚悟する方がかえって安らぎを覚える」と述べた。

帰国後『起信の課題』の序論の生死のところを読み直した。私の基本的公案の工夫も、うっかりすると「....が絶対に死を打ち破ることのできない運命を知る」実感を書いた、上滑りの方法や事柄に堕しかねない。『伝心法要』の「直下無心」や「念を動ずれば即ち乖く」の工夫も同様である。かつて最初そこに惹かれてきた、久松先生の備えておられた類のないきびしさは、この底なき深淵に基くものであり、またそこが先生の落着きと、誰に対しても変らない温かさと、対機妙用の源泉であったことを憶う。

どうしてもいけない生死竿頭において、身と心の思いを捨てて蘇る、形無き自己の大生命は不生不滅である。しばらくも、そこを離れるようでは本物ではない。頓修頓悟、修証一等。(1996.11.21)