◇阪神FASの足跡◇

越智通世
風信46号 2002年7月(ウエブでの読みやすさを考慮し、原文の段落区切りを変更しています。)          

一、神戸学道会行事要録
一九五一(昭二六)年八月一一日
中前史郎、池長澄、小川閑山の三名が龍泉寺で、関老師を囲み準備会

一九五一(昭二六)年八月二七日
祥龍寺で準備委員会七名
・初回例会昭和二六年九月二七日
祥龍寺午後六時―九時端坐、実究
一一名

以降昭和二七年一月まで、毎月第二、第四木曜日。論究は『人類の誓い』を中心に。
・特別例会

昭和二六・一二・五「堀正人氏講演と座談会」八名

昭和二七・二・五「野尻武敏氏を中心にカソリックとの対談」七名

・例会昭和二七・二・一九龍泉寺
以降平常例会は毎月第一、第三土曜日、午後七時―十時に変更参加者三、四名〜七、八名

・総会昭和二七・八・一六 龍泉寺 「学道の栞」発行

・公開講演会昭和二七・八・二三 祥龍寺「久松真一先生を囲む講演と座談会」参加者三十名。翌日、久松・堀両先生と六甲登山。参加者光長、中前、池長、越智

・特別例会昭和二八・二月頃 円福寺。徹宵坐禅関老師、小川、池長、越智他一、二名

昭和二八年九月 例会開催休止(事務局小川転出、越智転勤)


二、阪神FAS例会要録
第一回昭和三三・八・二三 午後一時半―五時 於西宮茂松寺 (出席者)大井、扇谷、白井、川崎、田中(祥)、木村(勢)、宮井、丸毛、越智、池長(欠席者)中前、小口、吉田(純)、清水、増田、光長 ・端坐(直日大井) ・論究「会をもつ趣旨―具体的内容、運営について」―第二、第四土曜、一時半〜五時とする。参禅方式をよしとする意見もあった。
第二回昭和三三・九・一三 茂松寺 (京都道場のFAS構想と一応切り離し、端的な内容を要す。論究は現実問題との即応が大切であるが、共通のテーマをもつために『東洋的無』の「真仏の所在」をテキストとする)
第三回昭和三三・九・二七 茂松寺 『真仏の所在』(真仏と汎神論、キリスト教の神との相違。禅問答とダイアログ。本質と個物等々)
第四回昭和三三・一○・一一 茂松寺 『真仏の所在』
第五回昭和三三・一○・二五茂松寺 『真仏の所在』(宗教的イリュージョンの問題等)

第六回昭和三三・一一・八茂松寺『真仏の所在』(トランセンデンタルとスーパーヒストリカルの異同)
第七回昭和三三・一一・二二茂松寺 『真仏の所在』
第八回昭和三三・一二・一四(日)―以降毎月一回日曜日開催に変更 神戸市立美術館(旧池長美術館)(出席者)扇谷、白井、中前、宮井、丸毛、海辺、川崎、池長、越智 『真仏の所在』(時間を超えるとは)
第九回昭和三四・二・一 茂松寺 『真仏の所在』(出三界―心行処滅)
第一○回昭和三四・二・一五 神戸市立美術館『真仏の所在』(組織悪について等)

第一一回昭和三四・三・一 茂松寺 『真仏の所在』(心理学的な心と意味的、価値的、論理的な心。精神の不滅と霊魂の不滅)
第一二回昭和三四・三・一 五茂松寺 『真仏の所在』(精神界の差別相の否定…)
第一三回昭和三四・四・二九 神戸市立美術館「FASの展開に伴う学道道場のあり方」
第一四回昭和三四・五・三一 神戸市立美術館 鈴木大拙、西谷啓治、辻村公一講演の紹介と「世界史の危機と東洋的なものの使命」
第一五回昭和三四・六・二八 神戸市立美術館『真仏の所在』(三界虚偽、絶対否定、形無き自己)

第一六回昭和三四・七・二六 茂松寺 『真仏の所在』(真の自己について)
第一七回昭和三四・八・三○ 茂松寺 『真仏の所在』(最終回―科学技術の世界との関係等々)
第一八回昭和三四・九・二○ 神戸市立美術館『禅の世界的使命』(風信旧三九号)
第一九回昭和三四・一○・一八 神戸市立美術館『真際を動ぜずして諸法を建立す』(風信旧三八号)
第二○回昭和三四・一一・八 神戸市立美術館『真際を動ぜずして諸法を建立す』

第二一回昭和三四・一二・三 茂松寺 「道場のあり方」(西宮禅道会【栽松会】の発足に伴い、有志は合わせて参加)
第二二回昭和三五・一○・一六 神戸市立美術館
第二三回昭和三五・一一・一三 神戸市立美術館
第二四回昭和三五・一二・一一 神戸市立美術館
第二五回昭和三六・二・一二 神戸市立美術館

第二六回昭和三六・五・二八 神戸市立美術館「FとAの問題」池長澄
第二七回昭和三六・六・二四 神戸市立美術館「仏教における誤謬根源論」井上善右衛門
第二八回昭和三六・七 茂松寺 「覚の普遍と特殊」大井際断 (以降、西宮禅道会に参加)
第二九回昭和四○・四 茂松寺 「これからの進め方」
第三○回昭和四○・五 茂松寺「『不動智神妙録』について」 池長澄

第三一回昭和四○・一一 茂松寺 西宮禅道会の後、引き続きFAS論究 「ベトナム戦乱と平和の問題」等 (大井、扇谷、池長、白井、越智他)
第三二回昭和四一 扇谷家「歴史の問題」
第三三回昭和四一・八 扇谷家「有時の而今」池長澄
第三四回昭和四二・一・一五 扇谷家「禅と私」(風吹幡動―仁者心動) 中前史郎
第三五回昭和四二・二・一二 扇谷家「生死と現代」扇谷正彦

第三六回昭和四二・三・一二 扇谷家「禅と現代」白井成道
第三七回昭和四二・五・二一 扇谷家「歴史的生成における人間の立場」 置塩義治
第三八回昭和四二・六・一八 扇谷家「これでよいのか」越智通世
第三九回昭和四二・七・二二 扇谷家「諸仏の境涯」清木正巳
第四○回昭和四二・一○・一 扇谷家(阿部正雄「禅と西洋思想について」論究)

第四一回昭和四二・一一・五 扇谷家(阿部正雄氏を囲んで論究)
第四二回昭和四三・一・二一 扇谷家「宗教的現実」海辺忠治
第四三回昭和四三・三・二一 扇谷家「宗教的実践―E・ムーウエの人格主義」池長澄
第四四回昭和四三・四・二八 扇谷家「造形美術について」丸毛小平
第四五回昭和四三・六・一六 扇谷家(辻村公一「禅と時間」について論究)

第四六回昭和四三・七・二一 扇谷家「『有時之巻』について」井上哲也
第四七回昭和四三・八・一八 扇谷家「道元における時と歴史」東専一郎
第四八回昭和四三・九・二九 扇谷家「インド哲学における智慧の問題」 山口恵照
第四九回昭和四三・一○・二七 扇谷家「時節因縁」田中孝雄
第五○回昭和四三・一一・一四 扇谷家「時間の問題」

第五一回昭和四四・一・二六 扇谷家「明日の禅」是常高保
第五二回昭和四四・二・一六 扇谷家「『有時』参究」井上哲也
第五三回昭和四四・四・一三 室町抱石庵―知恩院教学研究所 「本当の自己―波と水の喩え」 久松真一、「欧州の禅」藤吉慈海
第五四回昭和四四・五・一八 扇谷家「牛過窓櫺」平田高士
第五五回昭和四四・六・二九 扇谷家「親鸞における他相寂滅」 常盤義伸

第五六回昭和四四・七・二七 扇谷家「社会と人類―ベルグソンに関して」 池長澄
第五七回昭和四四・九・七 扇谷家「現代世界の問題と根本仏教」 白井成道
第五八回昭和四四・一○・二六 扇谷家「非美の美」倉沢行洋
第五九回昭和四四・一二・二 扇谷家「歴史を超えた歴史観」置塩義治
第六○回昭和四五・一・二五 扇谷家「私と問題」山崎晴久

第六一回昭和四五・三・八 扇谷家「ヨーロッパと日本」柴田増美
第六二回昭和四五・四・一九 扇谷家「則天去私」北山正迪
第六三回昭和四五・五・二四 吉田家「二律背反について―カント・仏陀・久松先生―」白井成道
第六四回昭和四五・六・二一 吉田家『絶対危機と復活』論究第一回
第六五回昭和四五・七・一二 吉田家「FASと公案禅」是常高保

第六六回昭和四五・九・六 扇谷家「魔仏倶打」―宗教的自覚の問題として阿部正雄
第六七回昭和四五・一○・一七(観月) 吉田家『絶対危機と復活』論究第二回
第六八回昭和四五・一一・二二 吉田家『絶対危機と復活』論究第三回
第六九回昭和四六・一・二四 吉田家『絶対危機と復活』論究第四回
第七○回昭和四六・二・二○ 吉田家『絶対危機と復活』論究第五回

第七一回昭和四六・三・二八 吉田家「健全な国語感覚を養うための一つの試み」吉田三千子
第七二回昭和四六・五・一 芦屋市民会館「帰朝報告」(8ミリ映写)池長澄
第七三回昭和四六・六・一三 吉田家「FAS所感」池長澄
第七四回昭和四六・七・一一 吉田家「己事究明」奥田幾治郎
第七五回昭和四六・九 吉田家『絶対危機と復活』論究第六回

第七六回昭和四六・一○・一七 吉田家「事と時」池長澄
第七七回昭和四六・一一・二一 吉田家「事と時」池長澄
第七八回昭和四六・一二・一二 吉田家「宗教と経済―歴史を動かす要因」林良一
第七九回昭和四七・一・一五 吉田家「マルテの墓碑銘に関する私見」扇谷正彦
第八○回昭和四七・二 吉田家「自己の方向」山崎晴久

第八一回昭和四七・三 吉田家「実在よりの国家観」置塩義治
第八二回昭和四七・四 吉田家「根源に還る」清木正巳
第八三回昭和四七・六 吉田家「最近の国語―高校生の調査より」吉田美千子
第八四回昭和四七・七 丸毛家「丸毛小平作品を囲んで」
第八五回昭和四七・九・三 永天寺「五位について」藤沢老師

第八六回昭和四七・一一 吉田家「感受性訓練などから学んだこと」越智通世
第八七回昭和四七・一二・二 吉田家「西谷啓治『宗教とは何か』を読んで」扇谷正彦
第八八回昭和四八・一・二一 吉田家「空と時と歴史」扇谷正彦
第八九回昭和四八・三吉田家「我執と自己」山崎晴久
第九○回昭和四八・四 吉田家「新しい世界に入って(就業)」藤井元洋

第九一回昭和四八・六・一○ 吉田家「無の構造について―一つの試み―」池長澄
第九二回昭和四八・七・八 吉田家「この会の取りやめについて提案」池長澄

第九三回〜九八回(昭和四八・七・四―八・二六―九・三○―一○・二八―一一・二五―昭和四九・一・二○―二・一七)吉田家(端坐を重点に無題論究)

第九九回昭和四九・三・一七 吉田家「本会の進め方について」
第一○○回昭和四九・五・一九 吉田家「論究テキストについて」

第一○一回昭和四九・六・二三 吉田家『相互参究について』論究第一回
第一○二回昭和四九・七・一四 吉田家『相互参究について』論究第二回
第一○三回昭和四九・八・一一 吉田家『相互参究について』論究第三回
第一○四回昭和四九・一○・二○ 吉田家(現代の批判と未来の建設)
第一○五回昭和四九・一一・二四 吉田家(現代の批判と未来の建設)

第一○六回昭和五○・一・四 吉田家「『ポストモダニスト宣言』をどう受けとめるか」
第一○七回昭和五○・二・九 吉田家「『ポストモダニスト宣言』をどう受けとめるか」
第一○八回昭和五○・三・二一 吉田家「印度哲学における宗教理想」山口恵照
第一○九回昭和五○・四・二○ 吉田家「ただ凡聖をつくせ」小林幹夫
第一一○回昭和五○・六・一 吉田家「行解相応と社会」小林幹夫

第一一一回昭和五○・七・六 吉田家「正法眼蔵とヘーゲルの論理学」小泉敏次氏
第一一二回昭和五○・八・二四 吉田家「『人類の誓い』と環境汚染」青木一章
第一一三回昭和五○・九・二八 吉田家「ポストモダニストの諸問題」池長澄
第一一四回昭和五○・一一・二 吉田家「仏教は無我にて候」海辺忠治
第一一五回昭和五○・一二・一四 吉田家「別離」山崎晴久

第一一六回昭和五一・二・八 吉田家「大灯国師について」小林幹夫
第一一七回昭和五一・三・二八 吉田家「近代科学について」白井成道
第一一八回昭和五一・五・九吉田家「五位」扇谷正彦
第一一九回昭和五一・六・一三吉田家「禅と念仏」藤吉慈海
第一二○回昭和五一・七・一五吉田家「FASと国文学」北山正迪

第一二一回昭和五一・九・二六吉田家「欧外の世界」田中孝雄
第一二二回昭和五一・一一・七吉田家「Am I good to myself?」と『肯心を弁ぜよ』越智通世
第一二三回昭和五一・一二・五吉田家「表現の世界と禅」池長澄
第一二四回昭和五二・一・三○吉田家「労働問題を考える」光長俊彦
第一二五回昭和五二・二・二○「禅雑感」玉井捷雄

第一二六回昭和五二・三・二○吉田家「高校生と共に学んだ三木清の『旅について』」吉田美千子
第一二七回昭和五二・五・一吉田家「禅の語録より」大矢正昭
第一二八回昭和五二・六・五吉田家「FASと私」東専一郎
第一二九回昭和五二・七・三「死について」石井誠士
第一三○回昭和五二・九・一一吉田家「キリスト教の社会観と私が考えるもの」野尻武敏氏

第一三一回昭和五二・一○・一吉田家「仏教と倫理」井上善右衛門
第一三二回昭和五二・一二・一一吉田家「禅と象徴―芸術論の試み」池長澄
第一三三回昭和五三・一・五吉田家「漱石の則天去私―『明暗』を中心として」田中孝雄
第一三四回昭和五三・三・二一岐阜久松家『無依仏法僧是真宗―宗教の根源について』久松抱石
第一三五回昭和五三・六・四吉田家「録音『無依仏法僧是真宗―宗教の根源』を聴いて」

第一三六回昭和五三・七・九吉田家「久松真一先生の宗教哲学」白井成道
第一三七回昭和五三・八・六吉田家「久松真一先生の宗教哲学」白井成道
第一三八回昭和五三・九・一○吉田家「久松真一先生の宗教哲学」白井成道
第一三九回昭和五三・一○・一五吉田家「俳句について」奥田幾治郎

(昭和五三・一一・一四吉田義治氏逝去のため半年間休止)

第一四○回昭和五四・三・二五吉田家『坐について』

第一四一回昭和五四・六・二吉田家「後期西田哲学についての宗教的考察」海辺忠治
第一四二回昭和五四・九・一吉田家「下座行」池長澄
第一四三回昭和五四・一○・二○吉田家「私の認識と行動の基準について」藤田佳久
第一四四回昭和五四・一一・二三吉田家「現代教育とあるべき人間関係」山崎晴久
第一四五回昭和五五・一・二七「どうしてもいけなければどうするか」越智通世

第一四六回昭和五五・三・九吉田家(抱石久松真一先生追仰)
第一四七回昭和五五・六・二八吉田家「格外の人」池長澄
第一四八回昭和五五・九・一四吉田家「無心と無位」池長澄
第一四九回昭和五五・一一・二「無心と無位」池長澄
第一五○回昭和五六・一・二五吉田家「後近代へ変わってゆく原動力は何か」小口晃生(発表延期)

第一五一回昭和五六・二・二九吉田家(前回と同じく延期)
第一五二回昭和五六・三・二七吉田家(会員所持の抱石遺墨撮影)倉沢行洋
第一五三回昭和五六・五・二吉田家「後近代へ変わってゆく原動力は何か」小口晃生
第一五四回昭和五六・六・七吉田家「久松先生の宗教哲学についての私観」山崎晴久
第一五五回昭和五六・七・二六吉田家「道元と哲学」東専一郎

第一五六回昭和五六・九・一五吉田家「西田哲学と久松哲学―久松禅と浄土真宗をめぐって」海辺忠治
第一五七回昭和五六・一一・一吉田家「科学技術と人間―後近代の意味するもの」吉田正友
第一五八回昭和五六・一二・六吉田家「道元の行と知の問題をめぐって―倫理学及び日本倫理史としての道元研究倉沢幸久
第一五九回昭和五七・一・一五吉田家「ヨットと人生」青木洋
第一六○回昭和五七・二・二○吉田家「般若心経について」小林幹夫

第一六一回昭和五七・三・二一吉田家「『如』について」池長澄
第一六二回昭和五七・四・二五吉田家「マネジメントと『見聞覚知の上に於て念を動ずることなかれ』」越智通世
第一六三回昭和五七・五・二三吉田家「文化や宗教についての国際性(普遍性)と国民性(個性)」藤田佳久
第一六四回昭和五七・六・一七吉田家「華厳の四法界」扇谷正彦
第一六五・一六六回昭和五七・七・二五、九・五吉田家『起信の課題(序論)』

第一六七〜一七一回昭和五七・一一・四、昭和五八・一・二八、三・一三、四・一七吉田家『起信の課題(起信論の組織)』

第一七二回昭和五八・五・一五吉田家『起信の課題(起信論の態度)』
第一七三回昭和五八・七・三吉田家『起信の課題(造論の目的)』
第一七四回昭和五八・一一・二七吉田家(一)『起信の課題(起信論の形成)』
(二)「本例会のとりやめと新しい展開について」池長澄(参考…ブディスト誌第二五号「ポストモダニスト私観」)


三、新発足と休止
・昭和六○・一・二○池長家(新発足下打ち合わせ)四名
・昭和六○・二・一一池長家「新発足検討会」七名
・昭和六○・四・二八神戸学生・青年センター「脱近代におけるFAS」池長澄
・昭和六○・五・八「私たちの個人的課題と共通的課題に取り組む当会としての、坐と論究の持ち方」
・昭和六○・六・一五神戸学生・青年センター「瞑想と坐禅」

・昭和六○・七・一五神戸学生・青年センター「私と基本的公案」池長澄
・昭和六○・一○・六神戸学生・青年センター「後近代について」池長澄
・昭和六○・一一・二神戸青年・学生センター「ポストモダニスト禅」池長澄
・昭和六一・一・二六神戸青年・学生センター「禅と芸術」池長澄
(以降休止)

●白井端坐会…なお昭和五一年頃から昭和六一、二年頃まで約十年間にわたり、白井家において、毎週土曜日午後二時から四時まで、端坐主体の会がもたれ、平素は二、三名であるが、折に触れ有志会員が参加した。


四、補記
(一)京都の平常道場への参加に代えるものとして、学道道場古参道人によって始められた神戸学道会は、発足一年後に久松先生を迎えて公開講演と座談会を開き、基礎固めと展開が期せられた。「人類の誓い」を柱として、月二回の例会で端坐・論究し、徹宵坐禅会なども行った。会員は三十歳前後が中心であったが、職業と家庭生活に忙しく、毎回六、七名乃至三、四名の参加であった。昭和二八年春、事務局担当の小川さんが転出、後を継いだ越智も名古屋転勤となり、例会は休止した。

(二)昭和三三年池長さんの主唱により、大井際断道人の協力を得て、西宮茂松禅寺を会場として、阪神FASとして再開発足した。すでに西宮禅道会(長尾老師→大井老師に参禅。後に栽松会と改称)を創始主宰していた扇谷さんの尽力は大きい。FAS会員有志は随時同禅道会にも参加した。

(三)哲学専攻会員のリードが中心であったが、各種職業の会員の現実問題が噛み合った。毎回の参会者は六、七名から十数名であり、以降諸記録に名前が現れる頻度にかかわりなく、各種職業の老若男女が、FASを基軸に究明を続けた。この間、京都在住の古参会員が招きに応じて、数多く繰り返し積極的に参加し、論究内容を充実し、活動を盛り上げていただいた貢献はまことに重い。

(四)ここに特筆深謝されるべきは、学道会以来、前後二百数十回におよぶ例会会場として、諸準備、接待に尽くしていただいた龍泉寺、祥龍寺、茂松寺、神戸市立美術館、扇谷家、吉田家、白井家、池長家等の皆々様の長期間にわたる言葉に尽くしがたい懇ろなお力添えである。

(五)第九二回例会において池長さんから「例会とりやめ」の提案があった。「マンネリ化して一期一会の活力を欠き意味がない」という趣意であり、一年近く不参加となった。他の参加者は「決して満足しているわけではないがやめなくてもよい」と、端坐主体に無題論究の例会を続けた。

(六)やがて『相互参究について』をテキストとすることとし、池長さんも引き戻した。この頃例会の案内状をご参考までに久松先生にもお送りしていたが、この論究につき「相互参究の方法の究明もさることながら、参究の具体的課題(例えば現代の批判と未来の建設等)に取り組むことにより、方法もそこから究明されて来ようかと存じます」との返信があった。また第一一八回テーマ「五位」に対して、「今更古則は問わず、即今ポストモダニストの五位如何?」の返信があった。また運営上の困難の訴えに対しても、「ご事情はお察しできぬでもありませんが、なお共同体としては、論究面に於いても実行面に於いても、相互に掘り下げ汲み上げを要する点多々あるやに存じます。これは世界史の将来の、また人類永遠の課題であって、個人の、また特殊の関心の果たしうるところでないはずであります。…」と。

(七)第一六五回から『起信の課題』をテキストとしてきたが、第一七三回に池長さんから、再び「本例会の取りやめと新しい展開について」提案があり、この度はそれに従うこととなった。

(八)昭和六○年一月、二月に新発足の検討会がもたれ、「FASは現代にどう取り組むか」が発議された。FAS構想を基軸に、各人の社会的役割、使命において向上向下の基本的公案に相互参究する。例会は学行一如に端坐・論究することは異存なく確認された。更に具体的に
・西田、久松、西谷の流れを継承、展開することをめざし、論究は哲学的な範囲に絞り、焦点を明確にした方がよくないか。
・壁のこちらで苦しんでいるのに、壁の向こうから打ち出されたFASを振りかざされても困る。若い哲学徒として客観性を究明したい。
・若い人達に端的に分かってもらうには、哲学的なことより、書や絵とかの表現で直覚してもらう方がよくないか。
・瞑想とか凝視(クリシュナムルティ)等も莫妄想に通じないか。
・「どうしてもいけない」と喰いついてくる人だけを…会員制度より、内面的なつながりのある縁の広がりを期する方がよい。
・会場は個人の家庭より公共施設がよい等々の意見が交錯するままにスタート。十回の会合を重ねたが、古参会員は老弱し、新参加の青年層も忙しく、ともに志向はあっても参加者は少なく、新機運は熟成されないままに休止となった。(池長さんの頭には文化サロン的性格の展開があったとも思える。新構想は実現されないまま、ついには病の阻むところとなった)

(九)このようにして前後三十五年、二百数十回に及ぶ例会学道は休止した。その一回一回の開催も、一人一人の参加も、実は進むことも退くことも許されない「どうしてもいけなければどうするか」の基本的公案の取り組みそのものであったといって、決して過言ではあるまい。それは数次にわたる会場と開催日時の変更、二回の積極的取り止め提案、運営困難の訴えに対する久松先生のお便り等からも推察されよう。

(十)阪神における例会の休止により、古参会員は従来からの京都のFAS諸会合への参加の機会を回復増加した。現役職務から次第に遠ざかり、その余裕を増す面もあった。阪神の例会のみに参加していた若い人々の多くは、FAS会合に参加する機会がほとんどなくなった。年とともに各方面の職務の重責を担いつつ、ポストモダニストエイジの展開を自覚的に受け止め取り組んでおられる便りがある。

(十一)休止してよりはや十六年、往時その相互参究をリードした先達、古参者の多くは、すでに涅槃に入り、残っている人々も程度の差こそあれ、身体的には衰えた老境にあって自適しておられる。阪神FASの足跡は果たして如何なる意味を持つものであろうか。如実如幻。抱石の遺影は静かに微笑むばかりである。