いつ死んでもよいか

越智通世
風信46号 2002年7月(ウエブでの読みやすさを考慮し、原文の段落区切りを変更しています。)
          
寿命が尽きて死ぬ時は「一言でよい」という。「どうしてもいけなければどうするか」大死一番絶後に蘇って働くのがFASである。「生きながら死人となりてなり果てておもひのままにするわざぞよき」(至道無難)なり果てるとはどうなることか。「忘れねばこそ思い出さず候」と言った加賀の千代女は、普通の忘れるとか思い出すとかの意識作用を超えて、寝ても覚めても、いつでもどこでも、自然と一つの統一的直覚に貫かれていたに違いない。その辞世は「月も見て我はこの世をかしくなり」である(かしくは手紙文末尾のかしこの転)。死ぬことが落ち着いているのである。

八十歳も過ぎればクラス会の話題も、「よくもまあ、この動乱の時代をここまで生かされてきた。もういつ死んでも言うことはない」という感謝と諦念であり、「この上はなるべくまわりに迷惑をかけないように、老醜をさらさぬように」ということになる。しかしこのような消極的な思いだけでは、日々迫ってくる身心の衰えに疲れが抜け難くなり、細事がわずらわしく億劫さを増す。よく聞こえない事、理解できない事が増え、識らず識らずの間に疎外状況が進み、生きている意味や意欲も薄れてゆく。果てはうっかりすると延命治療に生かされているだけということにもなりかねない。さきの感謝の気持ちをどこまでも、報恩や奉仕の積極性に転ずる工夫がいる。


このような老境を喜ばせ励ましてくれるのは、いとけない孫達の無心な生命活動である。その可愛さは無償的である。必要ならいつでも身代わりになってやりたい思いであり、相手が応えてくれなくても可愛さに変わりはない。まぎれもない人生の真実である。それはやがて眼に触れる世間の幼児達の可愛さに広がる。そしてその成育、成長に重ね合わせて少年少女、さらには異形の青年男女達への理解にもつながる。

そうして今日彼等が生活する社会的環境や自然環境を思うとき、そこには無惨な出来事が被害、加害も織りまぜて展開されている。もしそれが身内の者の上に…と想像するだけで、居ても立ってもおれない気持ちになる。そうでなくても彼等自身が取り組むべき難関、難問は目白押しであろう。一般的な問題としても、増えてゆく高齢者層が、次世代や少子化世代にかける諸負担を思うと、心が痛み身がすくむ。これらの諸問題は日本社会、国際社会、人類地球世界が抱えていてその解決が、絶望的とさえ思える諸問題にもつながっている。もはや自分達は老い先が短いのだから、関係は薄いというような気持ちや考え方では、決して安らかにこの世を終えることもできないであろう。もちろん暗い出来事ばかりでなく、お互いの生活の中の珠玉のような輝きや、人類の素晴らしい諸活動も展開されている。高齢化した私達も最後まで、それらの苦しみと喜びを共にしてゆきたい。


敗戦後の自他不信の彷徨から、端坐と「人類の誓い」へ導き入れられ、それらの工夫を支えとしてきて五十余年、身心衛生、社会的適応から長い職業生活、しばらくの地域社会世話役も終えた。その間、家庭的責務もこなしてこれた。それらは一応のことではあるが、無功徳の功徳を受けた思いは深い。そして人生最終コースを歩んでいる。願わくはFASに生死を貫きたい。「よく落ち着いて本当の自己にめざめ」とは、あらゆる変化の相の波が、瞬時も水であることを離れないように、私達のあらゆる行住坐臥、見聞覚知が坐であり、本当の自己を離れないことのめざめである。大切なことはこの老境の一つ一つの体験も、形無き自己そのものの働きであることの覚である。
老人には老人の使命と役割がある。体も頭も十分に働かなくとも、自らの胸に温かい思いを燃やし続けることはできることではないか。孫達の無心に啓かれた無償の愛を、肉親や知友への行動の一つ一つにこめて。それは行住坐臥、見聞覚知のすべてを坐とする工夫と重なる一つのことである。そしてせっせと雪を運んで井戸を埋める底の覚悟を要する。そこでは消極的老化の思いは消えて、いつ死んでもよい真実の生命の悦びが湧く。
(二〇〇二・六・一七)