久松先生の相互参究論

川崎 幸夫
風信47号 2002年12月(ウエブでの読みやすさを考慮し、原文の段落区切りを変更しています。)
          


赤肉團上に坐する久松先生に相見することができない現在および今後のFAS協会員にとつて、「無相の自己」に目覚める機縁の出現は相互参究によるほかはないわけでありますが、そのためには久松先生御自身が相互参究の在り方についてどのように考えておられたのかを常に振返ることが必要であります。

先生のお考えを纏まつた形で伝えているのは『著作集』第三巻に収められた「相互参究について」と題された一文ですが、この巻の編輯を担当された上田泰治さんと東専一郎さんとが連名で誌された「後記」によりますと、昭和四十三年十二月十五日に久松先生のお宅において行なわれた提綱の記録と伝えられています。
久松先生は長らく妙心寺山内の春光院に幻住しておられましたが、健康上の理由から昭和三十七年にそこを出られ、室町中立売下るの閑雅な邸宅にお移りになられました。ところが昭和四十年には前立腺の手術をお受けになり、外出も困難になつておられたという事情があつたのでありましよう。実は私がその時の提綱に参加していたのかどうかをも含めて、この提綱に関する記憶が私にはまつたく欠落しており、一度調べてみたいと思いながら今となつてはその術がない情態にあります。

「後記」にはこの提綱の記録の初出が挙げられておりませんので、おそらく昭和四十六年に理想社から最初の『著作集』が刊行されるに当つて、テープから起されたものと思われます。
固よりテープ起しは周到に行なわれたと窺われるだけでなく、その上、校訂者の上田泰治さんは優れた哲学者で、三高時代における私の尊敬する恩師でありますし、もう一人の東専一郎さんも常盤さんと協力して学生時代の藤吉さんらの講義ノートを綿密に考証し、『起信の課題』の増補版を完成させた方だけあつて、お二人とも久松文献学には精通しておられ、卓抜な識見を具えておられたことは言を俟たないのであります。

しかしそれにも拘らず細かい字句の表現には必ずしも賛同できないところが私には残ります。たとえば「相(かたち)なき自己」と「覚(めざ)める」という風にルビを振つた表記が採用されている点には納得するわけにはゆかないのです。

まづ「めざめる」が「覚める」と表記されている点ですが、これについては私はこの表記が間違つているとは決して思いません。むしろ久松先生の基本的な考え方をよく理解した上で、それを正しく表現しようと工夫された結果であると思いますが、やはりルビを振らないと正しく読めないところに難点があるのではないでしようか。

久松先生は著作集のさまざまな箇所で、禅の悟りとは不覚から覚へと移行することによつて成立するものではなく、衆生に対して覚は常に絶対現在なのであり、本来覚している者がそのことを了了と自知することであるから、そのものがそのものを覚するのであり、覚に移行ということは本来ありえない、ということを述べておられます。

しかしながら禅宗以外の大乗仏教の聖道門に属する諸宗派では、衆生または凡夫は聖性から隔てられており、覚を欠如した情態に陥つていて、それが苦悩の原因となると捉えています。このように自らが不覚の情態に留まつていることに気づいた衆生が願心を起し、予め定められた修行の階梯を辿つてゆくことを通して始覚を得ることを以て覚の成立と見做し、更に覚の完成度を高めて本覚に到達することが解脱の成就と見做されます。このように修と証とを分けて、修を通して証に到ることを図る見地は未だ有の立場に執する俗見であつて、もともと覚している者がそれ自身を覚するというのが覚の正しい姿である、というのが久松先生のお考えであろうと思います。

したがつて覚が成立するためには正等覚とされた仏が自己にとつて他者と見做されている限りは不可能なのであつて、どこまでも自己が自己を覚する、即ち絶対的な意味での自覚として現成するのでなければなりません。

しかし日本においても自覚といえばどうしてもデカルトの「私は思惟する。故に私は存在する」という有名な命題や、ドイツ哲学における理性的精神の場合を想い浮べます。しかし久松先生のいう禅的自覚とは自然と対立した精神の意志的な活動によつて達成されるべきものではなく、近代的人間の中核をなす理性とか意志といつた有心の活動を一切放擲し、飽くまでも無心に徹し切つたところに開かれるものでなければなりません。このようにすべての精神的な力から完全に離脱して、恰も夜が明けると自然に目が覚めるように訪れるものでなければならないのであつて、そのような悟りの機微を久松先生は「めざめる」と言表わされたのです。したがつて私は「目覚める」と表現するのが覚の本質を最も端的に表示することになるのではないかと思つています。


次に「無相の自己」が「相(かたち)なき自己」と表記されている点ですが、いうまでもなく久松先生はこの言葉を『臨済録』から引いておられますから、訓読して表記した場合には「形無き自己」とするよりも「相(かたち)なき自己」とする方が字句の上ではむしろ正しいといえます。
しかし久松先生が「形」という文字を否定的な意味で使用される場合には、単に臨済禅の伝統に忠実であろうとするよりは、むしろそれを現代世界において活用するという態度がはつきり現れていると思います。「相無き」を「形無き」とする場合には、西洋的世界において、プラトン以来存在の原理とされてきた「形相」(idea,morphe)という考え方が念頭に置かれているのであつて、それで以て西洋的思惟の根幹をなしてきた有の論理全体を代表させていることが看取されます。そうして「形無き自己」と一字変えたことが有の論理自体の完膚なき否定を表明的に示していることになると思います。このような哲学的含蓄を考慮するかぎり、私は「形無き自己」で一貫すべきだと考えておりますが、本当のところをいえば、先生が直接に御自分で原稿をお書きになられた論文だけを規準にして精査してみないと、はつきりと断定することはできません。

以上のような書誌学上の問題点を残してはおりますが、この「相互参究について」という提綱は実に優れた内容を有つていて、「相互参究」というFAS禅の基本的方法に具わつているすべての要素が、僅か十頁の紙数のなかに剰すところなく盛込まれております。したがつて内容は極めて高度で豊かであるが、文章表現としては非常に簡潔に集約されています。しかもさまざまな話頭がぎつしり詰込まれていますから、短い節毎に話がどんどん移つてゆく、という風に構成されており、読む側としては話頭が移り変つてゆく速さに眩惑されて、目が白黒してしまうということになります。
以上述べたことを前置きとして、次節においてはまづ「相互参究」の基本的性格を明らかにすることに努め、更に三節において本文を通観することにしたいと思います。但しその場合には、先に述べたような理由から必ずしも本文の表記とは一致しない箇所がありますので、その点をお含みいただきたいと思います。




久松先生のお考えによると、覚の方法には向上面と向下面とがあつて、そのどちらも重要であるが、通常の見方と異なつて、むしろ向下面の方がより一層根本的であるとされています。覚の修法が密室に入つて師家に参禅するという形式を取る場合には、両者の力量が圧倒的に異なる以上、向上面が極度に強調され、参究は一方的になります。しかし久松先生の言われるように、覚の成立とは本来それ自身において覚している者が、それ自身によつて本来自己であるところのものになることであつて、これが覚の本当の在り方でなければならないという風に見出されておりますから、その場合には、師家と未修の学人との関係は「相互参究」という形態になり、二つの相反する方向が一体不二ということにならなくてはなりません。しかし今述べたような覚の方法は実際はFAS協会に久松先生という稀有な方が存命されていたという、理想的にして且つ幸運な場合にのみ成立ち得た形態であつて、或る意味においては相互参究の特別な場合であつたとさえいえるかも知れません。

したがつて理想的な条件が失われた場合に想定される相互参究の一般的形態としては、「めあき」の指導者を欠いた局面で、「めくら同志が手を取合つて行く」(五九八頁)よりほかはないという条件の下で実究してゆかなくてはならないことになると思われますが、この点に大きな不安と危惧の念が懐かれることになるわけです。久松先生は予めこのような局面が訪れることを見通した上で、適切な教えをこの提綱のなかで示しておられます。

しかしそれを理解するためには、向上面と向下面との内的な関連に触れた「禅における自覚の方法」とか「涅槃への方向 涅槃からの方向」といつた論文を読む必要があります。それから相互参究を具体的に展開する推進力となるのは当然基本的公案の拈定ということになりますから、これについては「現代の課題とFAS禅」、「基本的公案」、「公案の工夫」、「『無門関』第一則提綱」、「坐ということを中心に」などであり、先生御自身の経験に基づいた説明が縦横に繰拡げられております。これらの論攷はすべて『著作集』の第三巻に収められていて、これらを熟読することが「相互参究について」と題された提綱を理解するための前提となつているのです。

ところで禅の方法として主張された「相互参究」とは、いうまでもなくさとりを開くための方法としてFAS協会の歩みの中から産まれてきたものであり、久松先生の表現を藉りると「協会独特な参禅の仕方」(五九四頁)と特色づけられているように、FAS協会のほかでそう言われているのを寡聞にして私も知らないのであります。しかし余所でそういう言い方が行なわれていないから「協会独特な…仕方」なのだというのであれば単なる特殊性を誇示するだけにとどまりますから、「相互参究」という行き方はFAS協会の内部で尊重されるだけとなり、禅的方法としては普遍性を持たないだけでなく、その必然性もあやしくなつてきます。
事実、「悟つていない者同志で相互に参究しても、それは結局めくらがめくらを引つぱつていくというような…ことになりはしないか」(五九八頁)という批判乃至疑問はFAS協会の外からだけでなく、内部にも根づよくわだかまつているのです。したがつて単に「協会独特な」だけでなく、むしろ禅界一般で行なわれている伝統的方法よりも高次な普遍性、必然性を具えているという確信がなければ、「協会独特な…仕方」であることを主張するのは却つて笑止千万ということになります。ですからわれわれは「協会独特な参禅の仕方」である「相互参究」を通して「形無き自己」に目覚めようと志す以上、その方法が協会に「独特」である所以を十分に考える必要があると思います。

それから更に「協会独特な」という表現を久松先生が採られたのにはもう一つ別な理由があるのではないかと思います。それは「相互参究」という方法の作者は決して久松先生お一人であつたのではなく、会員の一人一人がそれを産み出すのに関与したのであつて、協会活動の全体を反映することを通して産み出されたのだ、というお考えを久松先生が懐いておられたからだと思うのです。
われわれは動もすると、このような誰も唱えたことのない方法を編み出したのはどこまでも久松先生お一人の創意工夫によるものであり、いわば権威ある師匠から所謂トップ・ダウンの形で弟子たる会員に課せられたものであると思いがちであります。勿論実際にこのような着想が胸中に湧き、それを方法として確立されたのは先生お一人によるわけであります。しかしそれは堂内に蹲る「めくら」に取囲まれつつ、唯一人の「めあき」として上から与えるという形で工夫されたものではありません。「無相の自己」から見れば、「めくら」といわれるものも「真の在り方」においては「めあき」なのであつて、「この真の在り方」に目覚めたところに立てば、道場に於ける坐とは必然的に相互参究でなければならない。そしてたといそのことに多くの会員の眼が十分に開かれてはいなかつたとはいえ、自らが権威であることを常に否定しておられた先生が多くの会員と自由闊達に応接されることを通して、確信されたのだと思います。

しかしこのようなことを申上げると、なかには非常に意外な感じをもたれる方もおられるかも知れませんし、私自身も決して今述べたようなことを久松先生から直接にお聞きしたというわけでもありません。しかし先生が相当な決意を籠めて語られたこの「相互参究について」という提綱の記録を仔細に読みますと、今述べたような先生の確信が脈脈と伝つてくるのです。「相互参究」といえば「相互」という字面だけを見て、「めあき」抜きの「めくら」同志が、「めあき」と対等と思い違いをして空談を交わすことを主張していると誤解され勝ちですが、相互参究とは「自ら課してそして自ら解く」(五九八頁)ことを根本に置くことであつて、かかる意味において「さとり」の「根源的な方法」(同)として提起されたものであります。

したがつてFAS禅がこのような形に行き着いたというのは勿論久松先生が中心となつてのことではありますが、しかしそれは同時に多数の会員の多年に亙る参禅活動が結集することによつてもたらされた成果なのであり、また会員の一人一人が『綱領』に謳われていますように、「絶対の大道」の「学究行取」に参ずることをとおしてこの方法の作者となつていて、そこに「相互」ということが生きてくるのだ、というのが久松先生の信念であつたと思うのです。昭和四十三年にお話になられた「相互参究について」のなかで「協会独特な…方法」と規定されたのは、学道道場結成以来の二十四年に及ぶFAS協会の歴史とこの方法との深い結びつきに想いを致されたからではないでしようか。自由な相互批判が保証され、人類全体に開かれたFAS協会なるがゆえにこのような方法が産み出されたのであり、その意味においてやはり「協会独特な…仕方」であるといえるのではないでしようか。




全般的な説明についてはこれで終ることにして、これから本文にざつと目を通すことにしたいと思います。
まず相互参究が現実に成立し得る根拠とは「真の自己」、つまり形無き自己であるということが明言されています。

古来禅門に入つた人は数限りないのに、真の禅的自覚に到達した人は極めて僅かであつたといわねばなりません。厳しい修練を重ねたとしても、解脱を得ることが極めて困難であることも明白でありますから、相互参究の根拠となるべき「形無き自己」に目覚めることは特別の宗教的天才にのみ訪れることであつて、凡俗の手には到底届かないところにあると尻込みしてしまうのも止むを得ない、とさえいえるでありましよう。しかし久松先生はどこ吹く風とばかり「これは人間の本来のものでありまして、…だれかに特別にあるものとか、あるいは、だれかにのみ自覚されているものとか…いうものではないのであります。そこで本来というようなことを申すのでありますが、佛教の方で」は「『衆生本来佛なり』とかいうような言葉で言い表わされて」いて、「それでありますから、そういう自己というものは、これは実はだれにでもある、本来共通な自己であるということになる」とこともなげに述べられています。その上で、「この本来共通な自己があるということを、お互いに悟るということが…本当の相互参究ということになるわけであります」(五九四〜五頁)と、一気に相互参究の本質を衝いておられます。この誰にでも、平等に具わつている筈の「本来共通な自己」に、個個の学人は自らの工夫によつて目覚めなければなりませんが、専ら向上面に偏してそれに立向つて行こうとするならば、ほとんどの場合は徒労あるのみという結果に終つてしまいます。しかしもし久松先生の強調される向下面に即することの重要性に気づくならば、そこに道が開けてくるということになるのではないでしようか。その覚の向上面と向下面とが同時一体となつた事例が次に語られる「そっ啄同時」の譬であると思います。

「そっ啄同時」の譬は大変有名なものである上に、先生御自身が本文のなかで詳しく説明しておられますので余計なことを述べるのは省きますが、要するに先生の意図は「本来同じものが、それがお互いに本来のものになる」というところに「相互参究…の本当の意味がある」(五九五頁)ということを分らせようとするところにあるといえましよう。この「そっ啄同時」ということは、伝統禅においては密室において対坐する師家と学人との間で忽然と成立つものと解されているのではないかと思います。しかしその場合に殻の内でつつく(そっ)雛と、外から殻をつつく(啄)親鶏とが、師と弟子という個性や立場を異にした別箇の存在として、外面性を残しているようであつてはならないのであります。私には臨済が黄檗の許を去るに当つて大愚に老婆心切の限りを尽された場合が「そっ啄同時」のもつともすぐれた例になるのではないかと思われるのですが、しかし久松先生は「そっ啄同時」の成立をこのような特定の場合を想定して会得すべきではなく、本当は「相互参究の場…は何時でも何処でもある」(五九六頁)と言われ、このことに基づいて、師家がいなくても、ただ自分一人でいても、無相の自己に目覚めることは可能であるということを強調され、むしろそれが「無相の自己というものの本当の在り方」(五九七頁)とまで言つておられます。

さてそのことが日本であれ、日本以外の世界のどこであろうと、どこでも誰にでも可能となるためには、無相の自己に「自分で目覚めて、自分でそれを証明するという…ことがなければならない」(五九七頁)といわれております。したがつてこのことは「形無き自己」に目覚めるための普遍的根拠となることになります。久松先生のお考えでは、覚の成立はアト・ランダムな仕方であつたならば真の無相にはならないのであつて、普遍的根拠に基づいて、必然的に生起するものでなければならないことになります。覚が本物であるか否かの判定はこのような根拠に照らして証明されることが必要であり、伝統禅においては師家がそれを行なつております。しかし久松先生が唱えられたように、究極の根拠となるのは「無相の自己」であるということになると、目覚めるものも自分自身であり、証明するものも自分自身である、ということになります。そうしてそのためには、そのことを可能にする「方法」が必要になると先生はいわれます。方法という表現はギリシヤ語のmethodosに由来しますが、この語の原義は「道」hodosに沿つて(meta)行くことを指しますから、人人を真理へと無駄なく導いて行く道を意味し、これから離れずに、迷わずに探究をつづければ、誰でも目的に到達できるのです。しかしギリシア哲学では道は未だ真理への途中であつて、真理そのものではありませんが、イエスが『我は道なり、真理なり、生命なり』(ヨハネ伝一四・六)と告げた時、道は端的に真理と化し、ここに哲学から宗教への転換を見出し得る、といえるでしよう。これに対して『臨済録』において、「途中に在つて、家舎を離れず」といい、また「家舎を離れて、途中に在らず」(上堂八)と言われているところに、私たちは久松先生の提唱された「哲学・宗教」の即今現成を見出しうるように思われます。かかる道はまさしく臨済の如く「真道無體」(示衆一○)であるといえるでしよう。久松先生がF・A・S的構造をもつた覚が可能となるためには「方法」がなければならないということを強調されるのは、「方法」というものに以上のような問題連関を感じ取つておられたからであろうと思います。そして「自分自身で目覚めて、…自分自身で証明する」場合の方法は当然向下的な方法でなければなりませんから、密室に入つて師家に参究するよりも「根本の方法」となり、「根源的な方法」となるのであつて、根本にそれがなくては相互参究ということも成立

その次に、久松先生を喪失した会員たちが相互参究ということに対して危惧をいだき、不安の念が生じてくることを予想されたのでありましようが、狐疑逡巡して未だ悟入することを得ず、「めくら」と指弾される在り方にとどまつている人間といえども、その「真の在り方」から見れば実は「めあき」なのであると励ましておられます。ですから自分たちのことを「めくら同志が手を取り合つて」(五九八頁)転び惑つているのだと卑下することをやめ、そこで「手をつないでいる者は本当は真の人間である」ということに思到るところに「本当の相互参究」があるのだ(五九九頁)と力説されておられます。現在のFAS協会において相互参究ということが可能となり、したがつてわれわれの活動が具体的現実的な意味をもつものとなるには、この考えに立脚するよりほかはないのであります。

それから話が少し変つて、『六祖壇経』とか『碧巖録』などで描かれている禅の機縁をいくつか持ち出して、たとえば香厳(キョウゴン)の撃竹のように、普通否定的に評価される「無師独覚」こそが実は「究極の悟り」である、この場合には真の自己が師になつているのであり、無相の自己こそが本当の師家なのだ、と云つておられます。更にそれに敷衍して、久松先生は釈尊が菩提樹下で悟りを開いた例を取上げて、以下のように述べておられます。「釈尊の悟りにおいては、その悟りそのものが師であ」り、「悟つておる自己というものが…師である。その師…に目覚めるということの外に、悟りというものはない。だからそこでは学人と師と…は一体不二のものであります」(六○○頁)と。したがつてこのような自律性自主性こそが究極の確かさであり、無相の自己においては、師家と学人の間でお互いに自他の区別がなくなるのであります。そうして、以上のごとき「相互参究…が本当の相互参究なのであり」、「本来の自己にお互いに目覚めるということが本当の相互参究である」(六○○頁〜六○一頁)と説かれているのです。

久松先生が力説しておられますように、相互参究の根拠は本来の自己に置かれているのですから、その「相互」とは当然師家と学人との間というふうに限局されているのではなく、自己と「一切の人間と…の相互」というふうに、無数の「相互」の折重なりという相貌を呈することになつてきます。そうなると私が全人類と相互参究するということは、逆に全人類の方から私に於ける本来の自己と相互参究しているのだということになり、したがつて私の相互参究において、全人類を構成する「一切の人間…が相互参究している」という事態を成立させることになります。その結果として私一個の相互参究は重重無尽の拡がりを呈し、かくして相互参究は「無限」(六○一頁)ということになります。以上のように見てくると、相互参究とはFAS協会に特有な仕方ということに尽きるのではなく、あらゆる人間にとつて「本来の参究の仕方」(六○二頁)ではないか、と考えられることになります。

最後に久松先生は「今まで述べて参りましたことを纏めて申しますと」とやや口調を改めた後に、次のように結論を下しておられます。「そっ啄同時」といわれる場合には、殻の外からつついている親は実は本当の自己でありますから、それを自己の外に在る他者として受取るのは間違いということになります。したがつて真の師とは「いつも究極の自己」なのであり、「真の自己の外に師家はない」(六○二頁)のは明らかであります。しかるに師を自己の外に据えて、別箇の存在として対坐すると「いろいろな弊害を生じ、誤りも多い」ことになります。このようなことを念頭に置くならば、己事究明の際の「課題は…(外から)与えられるべきものではなく、内から生ずるものでなければならない。」(六○二頁)と語気を強めておられます。そして「この内というものの最も奥は…真の自己、形無き自己」(六○三頁)ということになると説明を加えておられます。序ながらここで久松先生が「課題」という語と「与えられるべきもの」という語を対比しておられるのは、若い頃に研究された新カント派のコーヘンの用語を想い出しておられるのではないかと思います。日本語で書けばこの二つの語の間に直接の関連は見えてこないのですが、ドイツ語で「課題」をAufgabeと書き、「与えられるべきもの」をdas Gegebeneと書けば、ともに「与える」という動詞gebenを軸にして、両者の関連は一目瞭然となります。

『相互参究について』と題された久松先生の提綱は大筋からいつて以上のように展開されていて、一見すると短い話が脈絡が判然としないまま次次に移り変つてゆくように見えますが、実は極めて首尾一貫しており、綿密に構成されています。しかしそうはいつても、そこには私たちにとつては困難な問題はいくらでも見つかります。たとえば無師独覚とめくら同志の二人三脚とはどういう風につながるのか、このことをはつきりさせるために「相互」ということが幾通りもの仕方で語られていて、「相互」全体の構造を解きほぐさなければなりませんので、簡単に解決できる問題ではありません。それから相互参究を推進する中核となる筈の基本的公案および坐との関わりについても、もつと具体的に究明される必要があるといえます。このような残された問題はFAS協会員全体に課せられた課題であることを銘記して、今回の話を了えたいと思います。