久松真一著『人類の誓い』
に関する読者からの反響

川崎 幸夫

朝鮮戦争が勃発して、再び人類が戦争の危機に曝されたことを憂慮された久松先生は新しい禅の在り方として『人類の誓い』を提唱され、更にそれを詳しく解説された講話は先生の著作集の中に収められておりますが、新しい会員や一般の読者が身近に接する機会は失われたままになっておりました。このような情態を打破することを協会としては念願しておりましたが、今年の春になって単行本として刊行することが漸く実現できました。しかし半世紀前と同じように、またもや戦争が地球的規模で拡大しようとしており、自らの行方に人類がまったく見通しをもてなくなりつつある今こそ『人類の誓い』が真に現実的意義を発揮すべき時節となってきたように思われます。世間から隔絶して室内に籠ることのみをよしとする禅界一般の風潮を潔しとせず、静寂の趣を湛えながら全世界に向かって熱情的に語りかける久松先生の肉声を、私は日本国内だけではなく、ビン・ラディンやフセインの、ブレアやシラクの胸の内に響かせたいと思っております。そのような途方もないことは夢物語としても、今回の刊行は多くの会員の方に大変喜んでいただけたようであり、御支援を呼びかけたところ十八名の方が応じて下さり、全部で三八八冊も購入していただけました。さていつ果てるとも知れぬほどであった厳しい残暑が過ぎ去り、金風心地よき十月に入って、『風信』四九号のプランを練っていた際に、或る委員から読者の声を載せることにしてはという案が出されました。できるだけ多くの方に感想文をお願いしてはとも考えましたが、差当り私としては柳田静江さんにお願いしたほかは、私宛に寄せられた私信を差出人の了解を得た上で紙面に載せることにしました。今後更に多くの御感想御意見をお寄せ下さることを期待しております。

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   柳田静江

久松先生の『人類の誓い』を出版して頂きまして、ありがたく拝見いたしました。昭和二十六・七年頃に西源院という無住の寺を龍安寺から道舎として借りまして、何人かの道人が住んだことがございます。その頃に久松先生の『人類の誓い』が出来たように覚えております。先生は、「今世界はまちがった方向に進んでいる。このままでは五十年も先には、取り返しのつかないことになる」と、大変心配されておりました。そして人類の進むべき道として出来ましたと思います。先生は龍安寺の池の辺で茶を点て、通りすがりの内外の観光客に枝折りを添えて渡したら、と云われまして、私もその気になりましたが、龍安寺の許可がありませんで、実現しませんでした。
今、混乱の世界に生きて、そのことを思い出しております。
二○○三年十一月三日

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北原隆太郎

御苦心の御編著『人類の誓い』拝受、くり返し拝読しております。世界史的にも時宜を得た、道場六十周年創立記念出版として久松先生もお慶びでしょう。御解説にてブッシュ大統領一味のアメリカ帝国主義、その産軍複合体に対する痛烈・辛辣なる弾劾・御批判など、溜飲が下りました。行き届いた目配りによる御解説、まことに有難く、御礼申し上げます。

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本多弘之

先日は久松真一師の願い『人類の誓い』を御恵送いただきありがとうございました。
私共の方では法蔵菩薩の名の下に、願をいただくのですが、「誓い」の大切さには大いに同感でした。早速「親鸞仏教センター」にも一部入れました。
合掌

【附記】
本多弘之氏については会員の方はほとんどご存知ないことと思われますから、一言御紹介をしておくことにします。氏は一九三八年に生まれ、東大農学部卒業とともに大谷大学大学院に入り、博士課程を了えると直ちに同校助手となり、七五年に『親鸞の救済観』(文栄堂書店)を出して翌年助教授に昇任、七八年に東本願寺から刊行された一一○○頁を越える『真宗聖典』の編輯校訂に当られました。八三年御父君の跡を継ぐために辞職して浅草の本龍寺に戻られ、住職として現在に及んでおられます。その間、東京や彦根などで情熱的に説法活動を展開、その記録が『微笑の素懐』(八六年文栄堂)、『はじめての親鸞』(八九年聖文舎)など数冊あるほか、明治以後の親鸞教学(清沢満之・曽我量深・安田理深)を対象にした学術書を三冊出しておられます。そして大谷派の東京における教学活動の拠点として「親鸞仏教センター」が文京区向ヶ丘に開設されると同時に所長として多方面な有識者と交流を重ね、現代と真宗との接点を探るために積極的な活動を展開しておられます。
なお私は四十年近く前に沢登りを通して親しくなり、比良・大峰・黒部川・丹沢などで共に冷汗を流したほか、八七年には滞独中の私を慰問に訪れて頂き、レンタカーを駆ってイタリアからスイスへと珍道中を繰拡げました。旅路の途中でマッター・ホルン登攀は無理としても、せめて登頂者の泊るヘルンリ小屋まで行ってみようということになり、ピッケルも携行せず、普通の靴を穿いたままという無謀な出立ちで、傾斜六十度もある小屋直下の大雪渓をジグザグに登った末に反対側へ出て、垂直の雪壁を二十メーター素手で登ったことが鮮烈な記憶となっています。









『人類の誓い』
贈呈の反応について

越智通世

これまでも何らかの縁でFASや坐禅に関心をもち、平常道場等の会合に多くの人々が参加してこられた。しかし抱いておられる各人の問題意識が、会の活動とよく融け合わないままに、継続参加をやめられることが多かった。これはお互いにとって誠に残念なことである。そのような方々にもせめて「人類の誓い」提綱(久松真一著作集第三巻「覚と創造」所載)だけは読んでいただきたい願いがあった。このたび漸くその機が熟し、単行本として鮮やかな装丁で新刊され、多くの方々から喜ばれている。協会基金からの拠出により会員には無償配布された。さらにこれを有縁の人々に勧めようとする会員には、一部千円(定価二千七百円)で特別頒布されることになり、すでに約四百部が出ている。私もFAS会員として蒙った深い恩恵の一端にも報いたい願いで、学友(主としてかつて満州国において民族協和、道義世界建設を念願して切磋琢磨した同窓)や、知己、親族等百余名にこれを贈った。現下の混迷する内外諸情勢に対応する判断のご参考にもという趣意と、拙文集【「人類の誓い」に導かれて】を添えて。そしてそのほとんどの人々から受領の礼と感想の一部が寄せられている。その代表的なものの要点を参考までに報告させていただきます。ただ高齢者が多く、感想にその傾向が出ていることはご了承下さい。


【A氏】
はからずも久松先生の不朽の名著のまさしく復刻の書、有難い極みであります。毎日二時間余、坐に親しんでいる折から何よりの「法雨」と時間をかけて見取、聴取させて頂き度く。(一信)

『人類の誓い』鉛筆で傍線を引きながら感銘深く拝読中です。(目下P一九○)それにつけましても自己救済だけで精一杯。衆生、社会に眼を転ずる時に、今や地球規模の異変の折り。甚だ道遠しと嘆かざるを得ません。(二信)

『人類の誓い』をわが足下内外まさに危機症状を顧みつつ読了。色々と本当に学ばせて頂きましたことに深謝いたします。また手許の嘗て拝領の『真人久松真一』を改めて繙く御縁を賜り、感銘の限りであります。先生の地球規模の御遺徳に思いを寄せ、精進を重ねる所存です。重ねて御礼迄。合掌(三信)

【B氏】
『人類の誓い』をありがとうございます。時間をみつけて拝読させていただきます。多忙な毎日を送っており(むしろありがたいことと思わなければなりませんが)じっくり考えることの必要を痛感しております。

【C氏】
『人類の誓い』ご恵贈頂き御礼申し上げます。混沌とした時代の中で、いかに自分を活かしていくべきかを模索しております。阪神FASの頃が懐かしく脳裡に思い出されて参ります。じっくり拝読させて頂きます。

【D氏】
『人類の誓い』を拝読しはじめております。易しい言葉で書かれてはおりますが、内容は決して容易に理解できるものではありません。精読ののち感想を申し上げたいと思っております。

【E氏】
久松先生には遙か昔、京都大学に居る頃「お茶」のことで謦咳に接したことがあって懐かしく思い出しました。重い内容の本でいずれ読後感想文を御送り出来ればと思って居ります。

【F氏】
…小生も昨年を以って会社を整理し目下閑居の次第です。ここ二、三年の間に敬愛する諸先輩に先立たれ年甲斐なく戸惑って居る状態でした。早速拝読させて頂き改めて勉強させて頂きたいと思います。昨今の内外の悲しい出来事に心を痛めます毎に、すべてを我が身に帰って来る様に反省頻りです。

【G氏】
『人類の誓い』有難く拝受しました。早速最後章「FAS」についての項を拝読、ご本の輪郭に接しました。これからジックリと取り組みたい所存です。煩悩にまみれたわが八十年の生涯もどうやら終局が近い。最終局面に安らぎを与えてくれそうな期待を懐いています。

【H氏】
『人類の誓い』平易な文章を使って居られますが、内容が深く難しいため時間をかけて精読させて頂きます。…たまたま私、日本仏教史の只今平安仏教から鎌倉仏教の諸師の伝記を中心として、系統的に勉強中で、お送り頂いた本を一読して非常な刺激を受けました。仏教の河流、時代の潮流を思い現在の仏教を考えるのは、この齢にならねば出来ないなどと思っています。

【I氏】
家内が珍しい難病で…現代医学の真髄と、私が入院当座より毎日八時―十三時、そばに居てやったことによる精神的なやすらぎが、今日の回復をめざし得たのでないかと思います。…そんな折誠に結構な『人類の誓い』をお送り下され、私自身のやすらぎをかち得ると有難く存じ上げます。今までは何事も簡単に考えがちでしたが、やはり人間にとって一番大切なことは何かということを考えなければ、生きていることの意義がないのではと思うようになってまいりました。まだまだ何の事か不可解なことばかりですが…心して静かに拝読させていただきます。

【J氏】
シベリヤ復員一年後肺結核になり、肋骨七本切削の成形術を受けましてから、今日に至るまで体調不良のため毎年のように、入退院を繰返しつつも皆様に励まされ、(身障者村村長も勤め終え)今日なお生かされております。現在は腎不全による人工透析…肺機能不全のための在宅酸素療法…閉塞性動脈硬化症の手術を受け歩行障害…ほかに冠動脈に異変があり狭心症、心筋梗塞の発症は何時来ても不思議でない。よくこの体でこんなにも保ったものだと担当医から宣言され…薄氷を踏む思いの毎日です。何度も彼此岸を往きつ戻りつしていました。…特に二、三年は人生とは、生きるとは死ぬとはを中心に生活していました。貴重なご教示を得て感謝に堪えません。内容が難しいので痴呆の進む頭脳にとってはなかなか理解消化できないところがありますがじっくりと時間を掛け改めて生死の問題に取り組んで参ります。

【K氏】
久松真一『人類の誓い』もアウトラインをつかみました。戦前戦後を通じて誠実に生きぬいた学者ですね。色々勉強になりました。ありがとうございました。私達もこれから精神をひきしめて残りの人生を生きたいと思います。

【L氏】
(毎朝一緒に旧約・新約聖書の通読を繰返してきた)家内の突然の発病と通院付添い介護、熾烈な基督教会内部の紛争の仲介やら総会の準備、運営に追われ、更に五十年間親しかった会社OB会の後輩の入院から法要までの半年の交わり…そのような中で『人類の誓い』に接し、久方振りに感銘を受けました。落着かぬ一読でしたので、これからあらためてゆっくり読ませていただく所存でございます。

【M氏】
ご恵贈いただきました『人類の誓い』ならびにあなたの「文集」昨日までかかって拝読いたしました。私は最近酔生夢死そのままの生活を送っていますので、こういう宗教的、哲学的文章に接するに際しましては急遽頭の切りかえをしなければなりませんでした。そのためご返事が大幅に遅れましたことに申訳なく思っております。
かつて福島政雄、松井了穏先生のお教えを受けたのでありますが、『人類の誓い』を拝読しましても八割方わからなかったというのが正直な感想です。松井先生が「宗教論」の最後の時間に「宗教心というものは矛盾の統一というところに起るものと思われる」とおっしゃったことを思いだし、『人類の誓い』で久松先生が繰り返し「真実の自己とは現実の自己と超現実の自己の統一である」(という意味のことを)言っておられることを読み、お二人の説の相通ずる所を見たように思いました。この「矛盾の統一」というお言葉を聞きました時、私の幼い頭にミレーの「晩鐘」が浮かび、宗教心とはああしたものかと思いました。ほとんどわからずに読ませていただきましたが、分からないまま、ある種の法悦みたいなものを感じたのもまた事実です。なにしろ今の私の日常とはまるで次元のちがう世界をさまよったわけでありますから、何ともありがたい体験でありました…。

【N氏】
『人類の誓い』を拝読し、戦前からの学道道場、FAS協会の各位の聖業に対して感銘を深くします。『人類の誓い』については言葉として理解できてもその実態の把握は至難の業と思料される。
小生はこれまで知見として体験した文明観歴史観はハンチントン氏の提唱に始った「文明の衝突」に共鳴する点が多い。二十一世紀の世界はグローバルな国際社会の一体化が進む方向でなく、むしろ数多くの文明単位に分裂してゆき、それらが相互に対立衝突する流れが新しい世界秩序の基調となるという「ハンチントン理論」である。かつて約五年間アラブ圏の諸国サウジアラビア、イラク、イラン、クエート、ヨルダン等に滞在した小生として、「文化多元主義」について教えられるところが多かった。『人類の誓い』の目指す境地は従来の文明社会の理念を超越したもっと高次の境地に立脚すると予想されるが、小生も虚心坦懐にさらに熟読玩味で取り組みたい所存です。

【O氏】
久松先生のご本『人類の誓い』学兄苦心のご生涯ならびに深い感慨拝受拝読いたしました。FASについてもよく理解できたように思います。今になってますます大切な思想です。久松先生はまさに先見の明がありました。それだけにもし先生今日も在世されれば宗教のもつ深刻切実な根本構造にどう対されるだろうかと思わざるを得ません。現在のままの宗教は人類破滅を防ぐどころか促進すると考えられるからです。どうしてもいけなければ神仏を捨てる暴挙に出るほかないと、私のような迷妄の人間は考えます。しかしそれははたして宗教を否定することか。まず自分が救済されることに熱中する性を人間はついに駆逐できぬかと切に思います。ご高教を。たがいに八十を越えて人類未見の危機への直面、凡愚といえど馬齢にいささかの功なきかということです。ご多幸を祈ります。妄言多謝。

【P氏】
久松先生のご本、そしてあなたの文集を恵送賜わり御礼申し上げます。あなたが大変立派ないい先生に巡り会われたこと、そしてそこに本当の人生を掴まえられたことがよく解りました。心より慶祝申し上げます。
ただ折角のご親切ではありますが、あなた方のお立場がどうして救いになるか、わたくしはどうしても解りません。ことに「どうしてもいけなければどうするか」という、あなた方のお考えの根本原理らしいお言葉は、わたくしには理解不能です。
死の問題についてもわたくしたちは、神様が一番いい時に、一番いい仕方で召してくださるから、くよくよ心配することはない、という形で越えております。老いも同様です。わたくしたちは神の愛へ信一本です。それは親鸞上人の信一本に一番近いと思います。歎異抄は私の愛読書です。
しかし立場は異っても、この経済や技術一色の時代に、心の問題を大切にされる貴兄のお立場には、大いに親近感を覚えます。心が卑しくては、ノーベル賞が何人出ようと、オリンピックで金メダルが何個とれようと日本は三流国、四流国ですねえ。ご健斗をお祈り申し上げます。

【Q氏】
『人類の誓い』を通してFASの考えがよく解りました。大きな見方をしますならば、私も宗教家として、同様の立場に立つ者ですが、あのように深く自己をみつめる事はできません。

【R氏】(韓国)
このところ家内が入退院の繰返しで、私も総入歯の作業中で毎日歯科病院へ通っており、家に安住する時間もないのが実情です。これも前世の因縁とあきらめていますが、それでも生きているということに感謝しつつ一日一日と生活しています。
この頃は読書もあまりしなくなりましたが、じっくり読みながら滋味を吸いとるつもりでおります。ただ本来宗教とか生死の問題については深く考えない性で自ら化外の民と認じておりますからあまり大きな期待を持たない方が失望が少なくなること必定です。

【S氏】(韓国)
久松先生の『人類の誓い』有難く拝読しました。私は経済学の重要さを勝手に判断してマルクスや近代経済学やらを多少かじってみましたが、それからは人生の助けになるものは何一つ得られませんでした。職業がら経済史、韓国経済史などを勉強しても結局誰かの思考のわなにはまってどうしようもない苦しみの継続でした。正直に勉強してみたらイデオロギーというものの非真実性を疑わずにはいられませんでした。私の「真理を求めて」に書いたように、これは生の経験からようやく真理の光をかいま見ることが出来ました。退職後は真理とは何ぞや、如何に生くるべきやを目的に勉強してきました。私は基本的にはキリスト教からのアプローチでありますが、その間仏教にも多少関心をはらってきています。仏教の勉強で一番難しいのは禅です。禅は理論では理解できないようです。そうかといって禅師についてということも容易なことでないですね…。

【T氏】(台湾)
『人類の誓い』拝読しました。「よくおちついて本当の自己にめざめあわれみ深い心をもった人間となり」の第一段は私どもがかって歓喜嶺(学園キャンバス)で共に切磋琢磨して来たことで理解できますが、「個人や社会の悩みとそのみなもとを探り、歴史の進むべき正しい方向を見きわめ」ることはまだまだ勉強しなければなりません。久松先生のこの大著を座右において今後も繰返して拝読したいと思って居ます。

【U氏】(中国)
久松先生は書法家です。本格的に中国古風の草書だ。日本の三筆にも劣らないと思います。それだけいただいてももう満足だ。況や立派な著作と思います…あなたも私も、もう耄耋の齢だ。理でいえばもう世外のものだ。世の中のことは我輩と “没関係”だ。併しどうしても人災、戦災、天災など無視することはできない。世はますます貧富強弱尊卑の差別ははげしくなる。天上と地獄だ。全く貴兄が書いたように「どうしてもいけなければどうするか」私はどうすることもできなくてまいった。…現今の世の中の災難は我々の心を刀で刺されるように痛いものだ。また多くのことは人間がやったのだ。『人類の誓い』ゆっくり読みます。後、読後感を書いて差上げます。

ご覧の通りほとんどの人がこの本を読み始めてやがて、内容の容易ならない重さに気づいて、じっくり読もうと取り組んでいる。身辺落ち着かぬ一読であったから、これから改めてじっくりととL氏。この大著を座右に置いて繰り返しと言ってくれている台湾のT氏。元高校教師で『「現代国語」夜話』の著作のあるM氏は、昨今酔生夢死の頭を切り換えて読んだが、正直のところ八割方わからなかった。ただその間にミレーの「晩鐘」を思い浮かべたり、わからぬままに一種の法悦を感ずるありがたい体験であったといっている。その事を同窓の哲学者の友人に話すと、「八割方とはいわんが半分くらいわからなかった」と。そうすると私自身は何割方わかっているのか。
団塊世代のB氏は忙しさに追われて考えることの欠如を反省しつつ、C氏は混沌の時代の中で自己を活かす道を模索しつつ読むという。社会的役割をほとんど終えた高齢者達は、配偶者や自らの重症と斗い、そうでなくとも心身ともに切実に生死の問題に直面している。そうして内外の悲惨なでき事や情勢が、すべてわが身に帰ってくるよう(G氏)に、人類社会の悩みを味わいつつ読んでいるようである。
久松先生を知る教育学者O氏は、人類破滅を促進すると考えられる今日の宗教のもつ根本構造に、もし在世ならばどう対されるかを問いたい思いであるという。先生はイスラム問題には直接的にはほとんど触れておられない。先生は「あなたの中の私と対話なさい」といって逝かれた。神の加護を僣称するアメリカのテロ戦争の大義に組することにも、アルカイダの聖戦テロを甘受するわけにもいかない。「どうしてもいけなければどうするか」『人類の誓い』をさらに繰り返し噛みしめ、自らに問うほかない。その都度最後は自らの本当の自己が自らに問い、自ら答えるほかない。大きくは人類が自ら問い自ら答えていく。歴史が自ら問い自ら答えていく。宇宙が自ら問い自ら答えていくというほかなく思える。生涯独身の聖職者P氏は…あなた方のお立場がどうして救いになるのか…ことに「どうしてもいけなければどうするか」という言葉は私には理解不能です。…(最後は)神様が一番いいようにしてくださる。わたくしたちは神の愛への信一本です…と。取りつく島もないようだが何だか私には、最究極は同じようなものも感じられる。
『人類の誓い』の核心は智体悲用であり、しかも向下こそが肝要とされているといえよう。キリスト教の信仰に基づき、社会科学者として献身的活動を続ける畏友がある。満州建国の理想に燃えてともに学び、彼は “ちりひじ(塵泥)におとれる身らが大君のみ楯とはつることを得るかも ”と詠じて学徒出陣した。敗戦後は大阪湾の機雷掃海を終え、あらためて大学に入り経済学を学びつつも、自らの不信に耐えかね、恩師に導かれてカソリックに入信。以降信仰と学問により献身的活動を続け、大学教授職の頃から県の高齢化社会研究機構→ヒューマンケアセンター理事長を務めている。その友からも「…『人類の誓い』はゆっくり拝読させていただくとして、文集の方の最近のご文章[「いつ死んでもよいか」(風信四六号)等 ]に目立ってくる “老人は老人の ”とか “老境 ”とかいうお言葉が気にかかります。まったく思いもかけず生協の理事長を仰せつかって “若さとは歳か ”などと肩を張っているせいかもしれません…」と返信を受けて心にひっかかっていた。平常道場でいのちにつき論究してきた頃の夜半の夢の中で、最近の「ゆとり教育」と学力低下の問題にからめて、本筋は自分の担当業務についてであったが、(算数を通じて子どものいのちに触れるのだ。どの学科もみなそうだ。そこでカリキュラムの葛藤も時間不足の問題も一挙に解ける!)とひらめきいのちが燃えた。その喜びは歳も職種も現職もOBも超え、夢と現実を貫く真実である。私の頭の中に、さきのO氏が昨年朝日新聞こころ欄で、「教育基本法の改正などといっている場合ではない。愛国心よりも孤独や不安に人間社会がどうかかわるべきか差し迫った問題がある…孤独や不安はどの教科の先生でも取り組めるはずですが、人生そのものを教材とする国語はとくに大切です…子どもも先生も裸になって触れ合う場になる。本来社会科にも、ものを突き詰めて考えるプロセスがある。…“総合学習 ”も人間が個々に総合的であれということであり、教材を寄せ集めてすむ話ではない。やりようで人間の生のぎりぎりに迫ることさえできると思う…」などと述べていたことが残っていたのであろう。失敗を恐れない裸のつき合いが本当の自己と本当の自己の触れ合いを啓く。唯仏与仏の相互参究である。確かに老境にこだわるところがあった。老若を超えたいのちが自然に、老人らしく活動するのでなければならない。
『人類の誓い』と[『人類の誓い』に導かれて]を送ったとき、離れて住む息子が珍しく電話をかけてきた「どうしたんや」ときく。遺志めいたものを感じたのかも知れない。経理の仕事と子育てに夢中で宗教など縁遠い状態である。「ああ、いつか誰かが読んでくれたらええんや」と答えた。『人類の誓い』はたとえ書棚に放置されていても、必ずいつか誰かに読まれて広がってゆくであろう。人々の悩みが深まれば深まるほど読まれずにはおかれないであろう。繰り返し繰り返し………